第204戦、9月22日発売号●【予想】世紀のダブル・タイトルマッチ、NWA世界ヘビー級、WWFヘビー級両選手権試合、ハーリー・レイスvsボブ・バックランド、(80年ニューヨークMSG)【正解】なぜか記憶から抹殺された?金髪爆弾コンビ殊勲の王座奪取、北米タッグ王座決定戦、坂口征二&ストロング小林組vsハリウッド・ブロンドス(75年新日本プロレス愛知県体育館)
【予想解説】流さんは週プロ発売日である水曜日の曜日構成が一巡したあたりから「続編」を書かれることが多くなりましたが、今回は予想、正解共に続編でした。9月22日が水曜日になるのは連載開始後、今回初でしたが、この日は流さんが採り上げそうな出来事と言えば、予想と正解以外では大木金太郎、馬場に挑戦(75年韓国・ソウル市内)、坂口vsラリー・シャープのWWF北米ヘビー級選手権試合(80年新日本プロレス米子市民体育館)位しか思い浮かばなく、4つの中から、レイスvsバックランドのダブル・タイトルマッチを選択致しました。
イントロダクションは本連載(20)5月19日発売号で流さんが採り上げられており、この一戦は当初、8月9日、WWFのビッグマッチ、ニューヨーク・センチュリー・シェアスタジアムでの開催が候補に上がりましたが、「ビンス・マクマホン(シニア)だけに儲けさせることはない」とNWAの元会長で重鎮だったサム・マソニックが難色を示しこの日は実現せず。
バックランドは元WWWFヘビー王者、ペドロ・モラレスと夢のタッグを結成し、アファ&シカ・アノアイのザ・ワイルド・サモアンズ1&2号のWWFタッグ王座に挑戦、2−0のストレート勝ちで王座奪取も「この日限定の移動」みたいで直ぐに王座は返上され、特に王座決定戦を行うことなくサモアンズにベルトは戻されました。
他にアンドレ・ザ・ジャイアントとハルク・ホーガンのシングル戦、日本から猪木、藤波辰巳も参戦、猪木はLシャープを破りNWFヘビー級王座を防衛、藤波はチャボ・ゲレロを降してWWFジュニア・ヘビー級王座を防衛。テレビ朝日で収録されて8月22日に90分拡大枠で特番中継されました。
50,000人の大観衆が熱狂、確かにここでレイスvsバックランドのダブル・タイトルマッチを組めば一番得をしたのはビンス・シニアに違いなかったでしょう。
バックランドは「レイスは逃げた」とレイスを挑発、これに対しレイスは「俺は8月8日にキール(オーデトリアム)でケン・パテラとの防衛戦が入っていただけだ」と反論しています。
本連載(20)の5月の時と同じ、レイス、バックランドとも8〜9月にかけて日本遠征があり、バックランドは8月22日、品川プリンスホテル・ゴールドホールで開幕の新日本プロレス「ブラディ・ファイト・シリーズ」序盤戦に特別参加。品川で猪木とWWFヘビー級王座を賭けて防衛戦を行い、スタン・ハンセン、Lシャープの乱入でリングアウト負けながらタイトル防衛。
乱入に激怒したバックランドは猪木に「タッグを組もう」と呼びかけ8月24日、田園コロシアムで猪木&バックランド組の「帝王タッグ」が初結成されてハンセン&Lシャープ組を2−1で撃破しています。
一方、全日本プロレス「サマー・アクション・シリーズ2」後半戦に特別参加したレイスはもっと窮地に陥り、まずは9月1日、鹿屋市体育館で鶴田と両者リングアウトで防衛も、9月4日、佐賀スポーツセンターで馬場に敗れ2年連続日本でNWA世界ヘビー級のベルトを明け渡しました。
9月10日、大津市皇子が丘体育館で馬場を破って王座に返り咲き、9月12日、一宮市産業体育館でミル・マスカラスと両者リングアウトで初防衛に成功しアメリカに帰国しています。
帰国後、レイスはフロリダでバグジー・マグロー、テキサス州ダラスでデビット・フォン・エリック、ノースカロライナでリック・フレアーを相手に防衛を果たしてニューヨーク入りしました。
レイスvsバックランド、世紀のダブル・タイトルマッチは9月22日のMSGで実現、21,728人の大観衆が集まりました。試合は60分1本勝負。バックランドは前半にジャーマン・スープレックスホールド、ハイアングル・アトミックドロップを決めましたが決めきれず。
コブラツイストの応酬となり、ロープ際でレイスがレフェリーに暴行、35分41秒、バックランドの反則勝ちでベルト移動なしの裁定がおりましたが、終始押していたのはバックランドの方で、ニューヨークのファンは「我らのバックランドがリアルワールドチャンピオンだ!」とバックランドを称賛しました。
レイス戦が終わって8日後の9月30日、バックランドはまたも新日本プロレスに来日、ワンナイト興行の「ファン感謝スーパー・ファイト」に参戦、ハンセンの挑戦を受けて反則勝ちで王座を防衛しそのタフネスさを見せつけました。
【正解解説】正解は本連載(38)、8月25日発売号の続編でした。左膝ウィルス性関節炎(蜂窩織炎)の為、8月22日、高崎市体育館から開幕した「闘魂シリーズ」を欠場した猪木。
欠場は4週間という長きに亘り、9月19日、千葉公園体育館でのジャック・ルージョー戦で師匠力道山ばりの黒のロングタイツで復帰、11分13秒、バックドロップからの体固めで勝ちましたが、膝を庇う場面も見受けられました。
空位となっていた北米タッグ王座決定戦はS小林に出場権を譲りましたが、9月22日、愛知県体育館大会は2,200人発表という不入り。1回前の3月18日の同会場(猪木&坂口征二組vsタイガー・ジェット・シン&マイティ・ズール組の北米タッグ選手権試合)が13,000人(超満員)で発表しているだけに、1/5以下の発表数字は何かの間違いかと長年疑問に思っていましたが、実際には猪木長期欠場の余波を受けて前売チケットが伸びず、本当に不入りだったことがその後調べて判明しました。
メインイベントは空位となった北米タッグ王座決定戦、坂口&S小林組vsジェリー・ブラウン&バディ・ロバーツ組のHブロンドスの一戦、新日本プロレス所属となってから初のベルト獲得のチャンスとばかりS小林は燃え、1本目は13分49秒、カナディアン・バックブリーカーでBロバーツからギブアップを奪って先制。新日本プロレス入りしてからの異名である「怒涛の怪力」ぶりをいかんなく見せつけました。
しかし、1本目を取られたHブロンドスは本来の悪戯非道ぶりを発揮、2本目以降、S小林が捕まり、場外で鉄柱にぶつけられて額から流血、4分40秒、BロバーツがS小林を体固めで破り、決勝の3本目は3分12秒、Hブロンドスの悪の連携が冴え、2人がかりのクローズラインの前にS小林がマットに沈み、JブラウンがS小林を体固め。
S小林がHブロンドスから2本取られて惨敗、2−1で北米タッグ王座はHブロンドスが獲得。「やはり猪木でないとダメなのか…」という空気になりました。
この名古屋大会はノーテレビでしたが、メインの北米タッグ戦だけはフィルム収録され、9月26日放送の「ワールドプロレスリング」の中でオンエアされました。
猪木はセミファイナルに出場、マイク・サンドーとシングルマッチで対戦し、9分17秒、弓矢固めでギブアップを奪っています。この猪木とサンドーの試合で猪木がダブルアーム・スープレックスでサンドーを投げている写真が「月刊プロレス」75年11月号のモノクログラビアに掲載されていますが、いつもの黒のショートタイツ姿に戻っていました。
タイトルの「なぜか記憶から抹殺された?」というのは私もですが、多くのマニアが参考にしている「ゴング」の日本スポーツ出版社から2000年6月に発売された増刊「日本プロレス50年史」の巻末にある「タイトルマッチ全記録」にこの試合の記録が載っていないことに起因しています。
資料の豊富さと正確さでデータベースとしてはこの本の右に出る本はないと言っても過言ではないですが、膨大な記録の為、やはり欠落があるのは致し方ないところ。
北米タッグ王座の欄は8月1日、ロサンゼルスで猪木&坂口組がHブロンドスとノーコンテストとなりタイトル預りとなった後、この名古屋での王座決定戦の記録が欠落し、10月2日、大阪府立体育会館で猪木が坂口と組んでHブロンドスの王座に挑戦し、ようやく勝ち王座を奪回し試合を「王座決定戦」としてあります。
ただ、実際には故意に抹消された黒歴史ではなく記録の欠落です。他にも例えば全日本プロレス編で83年10月26日盛岡・岩手県営体育館でのレイスvs鶴田、同31日会津体育館でのレイスvsテッド・デビアスの2つのNWA世界ヘビー級選手権試合が欠落しており特に深い意味はないでしょう。
※対戦成績は204戦38勝166敗、勝率186。
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