第195戦、7月21日発売号●【予想】ストロング小林、鬱憤晴らしの大暴れ!タイガー・ジェット・シンのアジア・ヘビー級王座に挑戦(77年新日本プロレス仙台・宮城県スポーツセンター)【正解】マーシャルアーツが日本初上陸(77年新日本プロレス)
【予想解説】S小林は新日本プロレスに入団してから初のシングル王座への挑戦、しかも対戦相手は圧倒的に分が悪いシン。6月29日、大阪府立体育会館で坂口征二から執拗なコブラクローで2本奪い、2−1で完勝しているだけに戦前の予想ではS小林の不利が予想されました。
試合は60分3本勝負、1本目の試合開始のゴング。静かな立ち上がり、組み付いてS小林はシンをコーナーに押し込む。離れ際、S小林が軽く張り手を見舞いましたがシンは何もせずクリーンブレイクに応じ、館内からまたどよめきが起きました。
シンはS小林の左足を捕らえ、右足を自分の足で払って倒し、レッグシザース。これをS小林は下からフェイスロックで外そうとしましたが、シンは足に力を入れて外させず。S小林は余った右足を使ってアームバーに移行してこれを強引に外しました。
両者リング中央で手四つの体勢から力比べ、通常なら手四つにS小林が組もうとする前にボディーにトーキックを入れるシンですが、この時は「王者としてのレスリング」を意識していたか、手四つで力比べに応じました。手四つからジャンプして力を入れたS小林、シンが膝を着きました。フィンガーロックはS小林の優勢に。
シンは再び足を取って倒すとアームロック。S小林はアームロックをかけられたまま、シンをエアプレーン・スピンの体勢に抱え上げてコーナーポストヘ。離れ際、S小林はシンのボディにエルボーを一撃。
さらにエルボーからニードロップを落とすと、尻餅をついたシンのバックから背骨を膝に押し付けて固定するとチンロックに捕らえました。シンは右に身体をずらして徐々に身体を移動させてロープに逃げてブレイク。
S小林はロープ際でコブラツイスト狙い、しかし、これはロープヘ。ここでシンはクリーンブレイク。
シンはアームロックから、師匠フレッド・アトキンスから習ったアームドラッグ。この投げ方は同じアトキンスのコーチを受けた「兄弟子」となる馬場をして「入り方は俺と同じ」と言わしめたスタイルです。アームドラッグからヘッドシザーズ。5分経過。S小林はこれを外してロープへ、クリーンブレイク。静かな立ち上がり。
S小林はヘッドロックから首投げからグラウンドでのヘッドロックでグイグイと揺さぶり、絞り上げます。立ち上がるも、再びS小林はグィッと力を入れてグラウンドヘ。シンは立ち上がり、ロープブレイク、離れ際、パンチを放つと見せかけたものの、やらずにクリーンブレイク。
S小林はフロント・ヘッドロック、シンは後退りしながらロープ近くヘ行きブレイク、S小林の足を刈って倒したシンはレッグシザース。S小林は下からフロント・ヘッドロックで外しにかかりますがシンは挟んだ足に力を入れて外させず。
S小林は今度はヘッドシザースに移行し、首を支点にして両足を使ってようやく外しました。両者スタンドの体勢からS小林のベアハッグ、シンの身体を持ち上げて絞り上げました。10分経過。リング中央での攻防、シンは苦しい。
コーナーヘシンを飛ばしたS小林はコーナーマットに詰めてのショルダータックル連発、今度はロープに飛ばしてカウンターのベアハッグ。シンはパンチをしようとしますがポーズだけ、正々堂々王者らしく闘おうというのか?
シンは腕をこじ入れてフロント・ヘッドロックでベアハッグを外しました。S小林はもう一度コーナーマットに押し込んでのショルダー・タックルから高々と担ぎ上げてのバックドロップ。フォールの体勢へ、カウントは2。
先制のチャンス、シンの背中にパンチを放つと一気にカナディアン・バックブリーカー、しかしこれはTJシンが担がれながらトップロープを蹴って、両者もつれて場外に転落しました。
S小林は本部席の机にシンの額を叩きつける、日頃痛めつけられている鬱憤を晴らすかのような大暴れ!さらにイスを持ち出そうとしたところ、リング下にいたサブレフェリーの田中米太郎が「反則だ!」とイスを持って止めに入りました。
その隙にシンが背後からイスで一撃、S小林をヘッドロックに捉えてコーナーポストへの鉄柱攻撃。しかし、これをS小林は読んでいて、シンのヘッドロックを外してシンは鉄柱に額を打ち付ける誤爆。
ここでレフェリーのミスター高橋が20カウントを数え、1本目は13分52秒、両者リングアウトで1−1となりました。
1本目終了のゴングが鳴らされた後、両者はリング下へ。セコンドの山本小鉄がリングに上がるよう促す。だが、怒りの収まらないS小林はイスを持ってシンに殴りかかろうとします。これをサブレフェリーの田中米太郎が止めに入りましたが、エキサイトしたS小林はこれを振り切ってシンの側頭部を一撃。
イスを持って観客にアピールするS小林。新日本プロレスに入団してからは見せたことのないような強さ、さらに鉄柱攻撃、シンはコメカミのあたりから流血。
決勝の2本目のゴングが鳴りました。S小林はコーナーでシンの割れた額に噛み付き、サードロープを使っての首絞め。さらに対角線のコーナーに飛ばす、正面から突っ込んで来たS小林の下腹部にシンはトーキックからコブラクローを決めました。足を刈って倒して絞め上げる。
シンはロープに飛ばしてのコブラクロー、S小林のボディにトーキックを放ってから、もう一度ロープに振ってコブラクロー、S小林はこれを返してアトミック・ドロップ、シンはリング外へ。S小林はエプロンのシンの首根っこを捉えると、コーナーの鉄柱ヘ。その時、S小林は止めに入った高橋レフェリーを肘で小突いていました。
シンにエプロン越しのブレーンバスター、フォールにいきましたが、S小林がその前にレフェリーを肘で小突いていたことが反則として、高橋レフェリーはカウントを入れず。
怒ったS小林はコーナーマットを外して剥き出しになった金具にシンの額を打ち付ける。反則カウントを取る高橋レフェリーをうるさいとばかりS小林はボディスラムの要領で持ち上げて反対側のコーナーに逆さ吊り。
戻って来たところ、シンはS小林をトーキックからコブラクロー。ここで試合終了のゴングが鳴らされ、3分33秒、レフェリー暴行によるS小林の反則負け。2−1でシンが2度目のタイトル防衛に成功です。
アジア・ヘビー級のベルトは獲れませんでしたが日頃、シングルマッチでは10分前後でフォール負けばかりで全くいいところがなかったS小林が日頃の鬱憤を晴らすようかの大暴れを見せ、シンを圧倒、ファンの溜飲を下げてくれた一戦でした。
【正解解説】全米プロ空手世界ライト級王者、「赤い怪鳥」ベニー・"ザ・ジェット"ユキーデは52年6月20日、カリフォルニア州ロサンゼルス出身の当時25歳。父はバスク系スペイン人でボクシングをしており、母はアメリカ先住民の血を引き、プロレスラーだったと言います。
10人兄弟の大家族で他の兄弟もなんらかの格闘技を修行していたことから、ベニーも幼少の頃からボクシング、レスリング、柔道など格闘技に熱中、その後、松涛館流空手道にも通い始め、合気道や剣道などの武道も習得。
寸止めの空手大会で優勝を重ねていくうちに、74年にハワイで行われたワールドマーシャルアーツ主催の大会で優勝。アメリカンキックボクシングの世界に入っていく。
76年に兄アーノルドとハワード・ハンセンが設立したWKAに参加し、世界ライト級チャンピオンとしてWKAを代表する選手となりました。
77年、猪木vsザ・モンスターマン戦が行われた日本武道館大会に初来日する訳ですが、当時プロレスラーとの異種格闘技戦を行うには身体が小さすぎ、日本人のキックボクサーから広く対戦相手を公募。
今回の流さんのコラムで77年7月23日付(22日発行)の「東京スポーツ」の記事が紹介され、「ユキーデの日本での対戦相手、まだ決まらず」という報道が為されていました。
ということは、予想に挙げたシンとS小林のアジア・ヘビー級選手権試合と同日の紙面であり、なぜユキーデの記事の方を採り上げたのかは疑問であります。
ユキーデは7月25日にモンスターマン、兄でトレーナーのアーノルド、妹で女子キックボクサーのリリーと共に来日。
対戦相手はなかなか決まらず8月2日、日本武道館大会セミファイナルで相模ジムの鈴木勝幸と対戦、6ラウンド1分15秒、強烈な左フックでKO勝ちしています。
ユキーデはリング上では赤いパンタロンを着用していており、そのカッコよさに憧れた小林邦昭がメキシコ遠征から帰国後コスチュームを真似、また87年1月14日、後楽園ホールでのワンマッチ興行で藤波辰巳に敗れた木村健吾がユキーデの主宰しているロサンゼルスのジェットセンターで再修行するなど新日本プロレスとの関わりも深いです。
※対戦成績は195戦38勝157敗、勝率195。
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