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2023年02月04日21:37

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週プロ流智美あの日あの時予想2021年総括(27)

第193戦、7月7日発売号●【予想】馬場が「組んではいけない」と危惧した犬猿の外国人対決、アブドーラ・ザ・ブッチャーvsディック・マードック(83年新日本プロレス大阪府立体育会館)【正解】国際プロレスが日本プロレス界のトップにあった短い時期、IWA世界タッグ王座決定戦、ストロング小林&グレート草津組vsビル・ミラー&バロン・シクルナ組(72年国際プロレス千葉県体育館)

【予想解説】黒人差別主義者として知られているマードックはブッチャーとは72年日本プロレス「第14回ワールド・リーグ戦」で初めて日本で一緒になりました。ブッチャーは前年の「第13回ワールド・リーグ戦」でもやはり黒人差別主義者だったキラー・カール・コックスが一緒だったこともあり、外国人側の控室に入ることが出来ず、通路で着替えをしていたと言います。

マードックはブッチャーを見ると鼻をつまんで「スカンク!」(臭い)と言ったり、禁止ワードである「ニガー」呼ばわりしていました。

同年10月、馬場が全日本プロレスを旗揚げ、ブッチャーを「一本釣り」した馬場は12月の「旗揚げジャイアント・シリーズ第2弾」に早くも招聘。

マードックは当時AWA地区でダスティ・ローデスとのテキサス・ジ・アウトローズで活躍していたことから翌73年6月にはローデスと国際プロレスの「ビッグ・サマー・シリーズ」に来日していますが、国際プロレスへの来日はこの一度きりで、元がファンク・ファミリーだったマードックは同年10月の「創立1周年記念ジャイアント・シリーズ」に全日本プロレスに初登場、以後はレギュラー参戦することになりました。

81年5月8日、川崎市体育館で新日本プロレスのリングに現れたブッチャー、本連載でも度々書いていますが、これを機に引き抜き戦争が勃発。

マードックは8月21日、大宮スケートセンターで開幕の「ブラディ・ファイト・シリーズ」で新日本プロレスに登場(前半戦特別参加)。8月28日、諫早市体育館では猪木と日本プロレス71年12月4日、仙台・宮城県スポーツセンターでのUN選手権試合以来実に約10年ぶりにシングルマッチで対戦、11分31秒、両者リングアウトの引き分けとなりました。

次の「闘魂シリーズ」でブッチャーとマードックが同時に参戦、シリーズ最終戦の11月5日、蔵前国技館ではマードック&ディノ・ブラボー組vsブッチャー&バッドニュース・アレン組というカードが発表されていました。

しかし、10月31日の酒田市営体育館でアレンが膝を負傷して欠場、蔵前ではブッチャーがマードック、ブラボーのどちらかを指名してのシングルマッチが行われことになりました。

リング上にはブッチャー1人にマードック、ブラボーの2人が反対側のコーナーに立ち、アレンはブッチャーのセコンドに。蔵前国技館に集まった13,000人超満員発表の観客からは大「マードック(の方とやれ)!」コール。しかしブッチャーが指名したのは初来日のブラボーで、観客席からは落胆の声が上がりました。

ブッチャーはブラボーを五寸釘で滅多打ちにして血ダルマにし、4分3秒に反則負けを喫していますが、観客とテレビ視聴者からは「ブッチャーはマードックが怖くて逃げた」というイメージを受けてしまい、移籍2シリーズ目でブッチャーのみイメージダウンとなってしまいました。

翌82年はブッチャーは3回来日し、いずれもアレン、SDジョーンズとの黒い軍団での参戦となり1月28日、東京体育館で行われた猪木とのシングルマッチは噛み合わず、猪木が延髄斬り3連発を出したところでアレンが助けに乱入、14分52秒、猪木の反則勝ち。

1週間後の2月4日、全日本プロレスの同じ東京体育館では新日本プロレスから移籍のスタン・ハンセンが、馬場に挑戦したPWFヘビー級選手権試合が行われています。

猪木vsブッチャーは移籍後7か月経ってからようやく組まれましたが、馬場vsハンセンは衝撃の乱入騒動からすぐに実現しており、マッチメイクの上手さで全日本プロレスが上回り、観客動員も新日本プロレスが9,000人、全日本プロレスが11,500人(超満員)発表と全日本プロレスの圧勝に終わりました。

猪木とのシングル戦で、タイガー・ジェット・シンやハンセンのように連続して抗争を続けていくことがブッチャーには難しく、次第にブッチャーはマッチメイクの主軸から外されていきました。

82年10月の「闘魂シリーズ」からはメキシコから凱旋帰国した長州力が藤波辰巳に噛み付き、また時期を同じくしてメキシコ、ロサンゼルスに海外修行出ていた小林邦昭がタイガーマスクに牙を向き、新日本プロレスのリングは日本人同士の軍団抗争にシフトしていくことになります。

ブッチャーが新日本プロレスに移る時の条件として新日本が呈示したのは年間3シリーズ以上、15週は呼ぶというモノでしたがあっさりと反故にされ、予定されていた83年1月の「新春黄金シリーズ」参加は見送られています。

IWGPの次の「サマー・ファイト・シリーズ」前半3週間にブッチャーが特別参加、これはIWGPの後は地方巡業の客入りが落ち込むので、知名度のあるブッチャーを呼びたいと大塚直樹営業部長から要望があった為です。

このシリーズは猪木が6月2日、蔵前国技館でのハルク・ホーガン戦で失神KO負けし、脳震盪を起こしていたことから大事を取ってシリーズを全休したシリーズですが、新日本プロレスに退団を申入れてフリー宣言した長州が国際軍団で行き詰まりを感じていたアニマル浜口と組んで「革命軍」改めて「維新軍」を結成し話題を集めました。

猪木抜きでもまたしてもブッチャーはマッチメイクの主軸から外れました。そんな中、7月7日、大阪府立体育会館で因縁のマードックとのシングルマッチが、何のストーリーラインもなく唐突に実現、8分46秒、ノーコンテストに終わりました。

この日はセミファイナルがタイガーマスクが寺西勇を16分59秒、エビ固めで破りNWA世界ジュニア・ヘビー級王座を防衛、メインイベントは藤波が長州に奪われたWWFインターナショナル・ヘビー級王座へのリターンマッチで藤波が長州に「掟破りの逆サソリ」を見せた試合でしたが、16分39秒に藤波が反則負けを喫し長州が2度目のタイトル防衛に成功しており、ブッチャーとマードックの一戦はシリーズの今後の展開には繋がらない試合でした。

それでも、両者の決着戦が翌週の7月14日、札幌中島体育センターで行われており7分45秒、ブッチャーの反則勝ち。大阪の試合はテレビ放送されましたが、札幌の試合はテレビ放送されずに終わっています。

ブッチャーとマードックの関係を知る馬場は新日本プロレスが両者のシングルマッチを組んだことについて「あの2人は対戦させてはいけない、新日本プロレスはレスラーの気持ちがわからない」と非難しました。

ブッチャーとマードックは全日本プロレスで同じシリーズに来たのは75年12月「ジャイアント・シリーズ第2弾」終盤戦から両者残留の「オープン選手権」、76年11月の「スーパー・パワー・シリーズ」、80年10月「ジャイアント・シリーズ」のみ。

タッグ対決は何回かありましたが、シングルは組まれず、「オープン選手権」ではファン投票ランキングがブッチャー3位、マードック12位で、公式戦で当たってもおかしくないランキング、且つ共に途中帰国せずに最後まで参戦していたにもの関わらず公式戦が組まれなかったのは前述の事情があったからでしょう。

猪木は「対戦する当人がやりたくない組み合わせが面白い」という馬場とは正反対の考え方であり、新日本プロレスだから実現した組み合わせだったと言えます。

【正解解説】この日から国際プロレスの「ビッグ・サマー・シリーズ」後半戦にビル・ミラーが特別参加。メインイベントはサンダー杉山&ラッシャー木村組が返上(R木村がヨーロッパ遠征に出発した為)したIWA世界タッグ王座決定戦側が行われ、S小林&草津組とBミラー&シクルナ組が対戦しています。

1本目は21分2秒、ミラーが小林を体固め、2本目は3分20秒、小林がミラーを逆エビ固め、決勝の3本目はアメリカ遠征からこのシリーズ凱旋帰国した草津が奮起、4分54秒、バーン・ガニアばりの裸絞め(スリーパー・ホールド)でシクルナをギブアップさせ、2−1で小林&草津組が勝利。第8代王者チームとなりました。

小林はこれで杉山以来のIWA世界ヘビー級、同タッグ王座の二冠王者となり、グランドスラム達成、文字通り団体の頂点に立ちました。

さて、72年9月に馬場が新団体全日本プロレスを設立したことで日本プロレスが3つに分裂した訳ですが、これで1年前までは馬場、猪木、坂口征二、大木金太郎、吉村道明が1枚のチケットで観られたものが全員観たければ3枚のチケットが必要になり、3倍のお金と時間を要することなりました。

2023年現在は多団体時代も定着し、インディーズやさらにそれを細分化したローカルインディーもあり、テレビ放送がなくても何とか存続していますが、84年以降離合集散を繰り返して現在に至っており、法人として成立していない任意団体も多数あります。

しかし、51年前では男子プロレス団体が4つに増えてしまうことはファンにとっては喜ばしい話ではなく、団体が割れた事で観客も分散、結果的に全体が地盤沈下し「冬の時代」が到来してしまいました。

72年10月1日時点での4団体の主要メンバーは以下の通りとなります。

日本プロレス(54年2月旗揚げ)坂口、大木、吉村、上田馬之助、高千穂明久、グレート小鹿、松岡巌鉄、ミツ・ヒライ、星野勘太郎、永源遙、小沢正志、桜田一男、羽田光男、木村聖裔、伊藤正男、大城勤、(海外遠征中)安達勝治、林牛之助、戸口正徳。

国際プロレス(67年1月旗揚げ)ストロング小林、グレート草津、田中忠治、寺西勇、大剛鉄之介、ミスター珍、デビル紫、鶴見五郎、本郷篤、稲妻二郎、八木宏、米村勉(海外遠征中)ラッシャー木村、マイティ井上、アニマル浜口、大磯武、松本勝三。

新日本プロレス(72年3月旗揚げ)猪木、豊登、山本小鉄、柴田勝久、魁勝司、木戸修、藤波辰巳、浜田広秋、木原伸一、伊藤正治、荒川誠、栗栖正信。

全日本プロレス(72年10月旗揚げ)馬場、サンダー杉山、大熊元司、マシオ駒、轡田友継、佐藤昭夫、藤井誠之、百田光雄(日本プロレスでデビューするも、一度辞めており、全日本へ再入団)。

このメンバーを見ると、馬場、猪木という両巨頭はいないものの、海外遠征中の選手を含めると国際プロレスが一番メンバーが充実していたと言えます。馬場、猪木にしても、脇を固める日本人レスラーが弱体化してしまっては日本プロレスの時とは同様に客が入らない、という厳しさを実感させられることになる訳です。

国際プロレスが一番陣容が豊富であり、エースクラスの草津、R木村、そのすぐ次のポジションとなるマイティ井上、アニマル浜口を海外に交互に遠征させており、吉原功社長がきちんとした中長期的成長戦略を立て、TBS運動部としっかりリレーションを取ってTBSから資金を引っ張り出していれば、この時が「天下盗り」の最初で最後のチャンスだったのではないかと思います。 

※対戦成績は193戦38勝155敗、勝率197。
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