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2023年02月02日21:44

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週プロ流智美あの日あの時予想2021年総括(25)

第191戦、6月23日発売号●【予想】猪木、モハメド・アリ戦の公開調印式で「ファイトマネー勝者総取り」を提案(76年新日本プロレス新宿・京王プラザホテル)【正解】「大巨人の恩返し」アンドレが古巣国際プロレスに来日(74年国際プロレス)

【予想解説】予想の方は前回の続きでした。6月16日夜に来日したアリは翌朝早朝の4時よりロードワークをして「来日の疲れなど少しもない」とアピール、その日午後より渋谷のセンタースポットジムで行われたスパーリングパートナーであるジミー・エリス、ロドニー・ボビックとの公開スパー。エリスとのスパーリングでは軽快なフットワークを見せましたが、ボビックには何とプロレス流のチョーク攻撃や羽交い絞めを見せてアピール。

同日猪木は世田谷の野毛道場で報道陣を入れ、日本人ヘビー級プロボクサー、長岡俊彦(金子ジム)とのスパーリング、長岡の左ストレートを巧みにかわしてからの仰向けに倒すカニ挟み、そこから足を絡めての腕ひしぎ逆十字固めを公開しました。

6月18日は日本外国人記者クラブでの共同記者会見。来日してから初めて顔を合わせるアリと猪木。アリは相変わらずの毒舌で猪木を挑発、猪木は「試合後、お前にはこれが必要になるだろう」と松葉杖をアリに贈るという「反撃」に出ました。怒ったアリは上半身裸になり「今すぐここでやってやる」と立ち上がり、猪木も上半身裸になって臨戦態勢。止められて事なきを得ましたが、早くも一触即発ムード。

6月20日は日曜日、午後1時より後楽園ホールにて入場料3,000円の有料での両者の公開スパーリングが行われました。

アリはエリス、ボビックを相手に合計6ラウンドのスパーリング。「蝶のように舞い、蜂のように刺す」華麗なフットワークを披露。

続いて猪木が木戸修、藤原喜明、木村たかし(聖裔、健吾)と共にリングに上がり、藤原を腹の上に乗せての綺麗なブリッジ。木戸とはバックを取ってからのテイクダウンというレスリングの基本的なテクニック、空手チョップを披露、木村に対し、アリ戦用に開発した秘密兵器、ジャンピング・ハイキック(延髄斬りの原型)を出しました。

猪木がリングを降りる際、これを通路で見ていたアリ(既にシャツに着替えていた)が興奮して猪木に詰め寄り館内は大騒ぎ、藤原が上半身裸になってアリを牽制、先のシリーズでデビューしたばかりの佐山聡の姿も見えました。

この公開スパーリングの後、アリ側からルール変更の申し出があり、空手チョップの全面禁止、タックル、頭突き、肘打ち、膝蹴り、足の甲以外での蹴り技の禁止、如何なる場合においてもアリの頭部を攻撃してはいけないというもので、アリ側の代理人であるアンジェロ・ダンディは「このルールを飲まなければ、我々は明日にでも試合をキャンセルして帰国する」と脅しにかかり、猪木側はこれを飲まざるを得なくなりました。

6月23日、新宿・京王プラザホテルのコンコルドボールルームでNET「水曜スペシャル」生中継、アリvs猪木公開調印式ディナーパーティーが行われました。猪木は当日試合の入場の際着用する石坂浩二デザインの青紫にオレンジの縁取り、背中に鳳凰を刺繍した豪華なガウンで登場。

席上、猪木はアリに対し「この試合で勝った方がファイトマネー総取りというのはどうだ!」とウイナー・テイクオールの賞金マッチを提案。アリもその場の勢いでサインに応じましたが、アリ側のマネジメントをしているハーバード・モハメッド、米トップランク社代表ボブ・アラムらが血相を変えて怒り出し「猪木は何ということをしてくれたのか!こんな契約は破棄だ!」とこの猪木の提案は一夜にして破棄されてしまいましたが、これは猪木も本気だった訳ではなく、心理戦の一部だったでしょう。

【正解解説】74年初め、エースだったストロング小林の離脱、TBSの放送打切、凱旋帰国が予定されていた大剛鉄之助の交通事故禍という団体存亡の危機に晒された国際プロレス。

3月26日、仙台・宮城県スポーツセンターで開幕の「チャレンジ・シリーズ」前半戦に全日本プロレス旗揚げ時に手薄だった日本人選手を貸し出してもらった恩義に報いる為にと馬場が高千穂明久、大熊元司、サムソン・クツワダを連れて特別参加し協力、損失を最小限に食い止めました。

一方、吉原功社長の早稲田大学レスリング部の1年先輩にあたる東京12チャンネル(テレビ東京)運動部長だった白石剛達(たけみち)との繋がりから吉原が中継の依頼を打診。

「ダイナマイト・シリーズ」6月3日、後楽園ホール大会を午後8時より単発番組にて生中継、メインイベントはS小林の離脱で空位となったラッシャー木村とビル・ロビンソンのIWA世界ヘビー級王座決定戦で2−1でロビンソンが勝ち新王者になっていますが、視聴者には好評で、秋の番組改編期に向けて国際プロレス中継のレギュラー放送が決まるか否かのテストケースとしての放送が行われています。

6月25日、後楽園ホールで開幕の「ビッグ・サマー・シリーズ」にアンドレが来日、アンドレは前名のモンスター・ロシモフ時代、69年5月、パリ・エリーゼモンマルトルで行われた初代IWA世界タッグ王座決定戦にイワン・ストロゴフと組んで出場、国際プロレス代表の豊登&S小林組と対戦。この時「馬場より背が高いヤツがいる」と豊登に見初められ、翌70年1月の「新春パイオニア・シリーズ」に吉原社長が招聘しました。

ロシモフのマネージャーをしていたエンリケ・エド(国際プロレスのイギリスでの提携先であったジョイント・プロモーション代表だったジョージ・レリスコウの娘婿)は「ヤツはまだキャリアが浅くて試合が下手(しょっぱい)だから日本のレベルには届かない」と、当初難色を示していましたが、吉原社長は「馬場より大きいというだけで商売になる」とエドを押し切って呼びました。

ロシモフは日本で、終盤戦に特別参加してきた初来日のAWAの帝王、バーン・ガニアと運命的な出会いを果たしました。

「ミネアポリス・ボクシング&レスリングクラブ」のオーナーだったガニアはロシモフを一目見て気に入り、プリモ・カルネラみたいなヘビー級ボクサーに育てようとしましたが、これは流石にロシモフは断りました。

その後、ロシモフは71年の「第3回IWAワールド・シリーズ」でビル・ロビンソン、カール・ゴッチという強豪をポイント差で制して優勝した後、ガニアの伝手でフランス語圏でフレンチカナディアン(フランス系カナダ人)レスラーの多いカナダのモントリオール地区に進出、キラー・コワルスキー、ドン・レオ・ジョナサンらトップと対戦して揉まれ、ガニアのアマレス仕込のスパーリングでしごかれまくり、本物の強さを手に入れました。

翌72年の「第4回IWAワールド・シリーズ」ではS小林にエプロン・カウントアウト負けで準優勝となりましたが、風貌もアメリカンナイズされていました。

73年、ニューヨークのWWWF代表のビンス・マクマホン・シニアと契約。「世界の8番目の不思議」アンドレ・ザ・ジャイアントに変身、ただでさえ大きな頭に、黒人のソウルミュージシャンみたいな巨大なアフロヘアーにしてより怪物性を増しました。

同年3月26日、アンドレはMSGデビュー、バディ・ウォルフを僅か「9秒」で撃破。ビンス・シニアはアンドレをニューヨークを中心とした自分のテリトリーにとどめることなく、「世界を又にかける大巨人」として全米のテリトリーにブッキングしました。

74年2月、WWWFの提携先だった新日本プロレスの「ビッグ・ファイト・シリーズ」に初来日、猪木、坂口征二と初対戦することになります。

シリーズ最終戦の3月19日、蔵前国技館ではこの日記を読んで頂いてる方なら先刻ご承知のことと思われる猪木vsS小林のNWF世界ヘビー級選手権試合が行われた日です。アンドレはダブル・メインイベント第1試合で坂口と対戦。

S小林は「控室が近かったんでアンドレに挨拶をしに行きましたよ。向こうはビックリしてね『何でお前がここにいるんだ?』って聞いてきたから正直に話しましたよ」と言っており、アンドレはそこで国際プロレスの窮状を知ることになる訳です。

さらに、この日、国際プロレス時代からアンドレとはリングを降りれば親友関係にあったマイティ井上も国技館の支度部屋にアンドレを訪ねており、目ざといマスコミに見つかると「親友アンドレに会いに来ただけ」とコメント。アンドレはM井上からも国際プロレスの現状を聞かされたと思います。

それから僅か3か月後、アンドレが古巣国際プロレスに参戦、この時アンドレをブッキングしたのは一体誰だったのか?

M井上の言によれば「それは吉原さんだったと思いますよ」とのこと。アンドレは吉原社長から国際プロレスのピンチを聞き、多忙なスケジュールの合間を縫って1週間だけ国際プロレスのリングに登場しました。

M井上が吉原社長の指令でアンドレ参戦を働きかけた訳ではなかったのです。国際プロレスに来日したアンドレにM井上は「お前、こんなことしてニューヨーク(WWWF)の方は本当に大丈夫なのか!?」と心配したそうですが、アンドレは「ミスター・ヨシハラを助けに来た、ビンスには俺からちゃんと話をつけておいた、心配いらんよ、ハッハッハッ!」と野太い声で笑い飛ばしていたそうです。

ドル箱アンドレの頼みではビンス・シニアも断れなかったことでしょう。

アンドレが参戦した6月25日、後楽園ホールでの「ビッグ・サマー・シリーズ」開幕戦はメインイベントがグレート草津&M井上組とアンドレ&イワン・バルコフ(ダニー・バビッチ)組で7月1日の午後8時から東京12チャンネルで録画中継され、6.4%の視聴率を弾き出しました。

当時東京12チャンネルのゴールデンタイムの視聴率が平均2〜3%ということを考えると上出来で十分合格点。

その後7月5日、鹿児島県鹿屋市体育館(ラッシャー木村vsザ・キラーのチェーンデスマッチ他)を単発放送、9月からのレギュラー放送昇格に繋がりました。
※対戦成績は191戦38勝153敗、勝率199。
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