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2022年09月25日14:35

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ストロング小林さん追悼(260)

76年12月9日、新日本プロレスと全日本プロレスの同日同時刻開催の興行戦争、「新・隅田川決戦」。

蔵前国技館からは両国橋を渡ってすぐのところに位置する日大講堂で全日本プロレスは「スーパー・パワー・シリーズ」の最終戦を行い、12,000人(超満員発表)の観客を動員しました。

メインイベントは馬場&鶴田組が大木金太郎&キム・ドク組の持つインターナショナル・タッグ王座に挑戦しました。

1本目、大木とドクは鶴田を2人がかりのボディスラムで叩きつけ、大木が鶴田を押さえたところへドクがコーナーポスト最上段からフライング・ニードロップ。さらに大木がセカンドロープへ足をかけジャンプしての原爆頭突きを決め11分38秒、大木が鶴田を体固めでフォールし王者組が1本目を先取。

2本目、ドクが鶴田をボディスラムで叩きつけコーナーポスト最上段へ上がろうとしたところへ、控えにいた馬場がエプロンからチョップでドクを場外に落とし、追いかけてストンピング攻撃。その間も大木は鶴田へ執拗に攻撃を続けるが、馬場のカットで場外へ。大木はリング下でうずくまるドクをリングへ戻そうとしたが、間に合わずの3分18秒、鶴田がドクにリングアウト勝ち。

決勝の3本目、ドクへ鶴田がドロップキックからフォールもドクはカウント2でクリア。そこへ馬場が入ってと2人がかりのダブル・ブレーンバスターを決め2分38秒、鶴田がドクを体固め。2−1で馬場&鶴田組が42日ぶりにタイトル奪回に成功しています。

セミファイナルは1年前には新日本プロレスに登場し猪木と歴史に残る名勝負を展開したビル・ロビンソンが「馬場の持ち駒の1人」として全日本プロレスのリングでアブドーラ・ザ・ブッチャーとシングルマッチ60分1本勝負で対戦。

ロビンソンはドロップキックで場外に落ちたブッチャーを追いかけ場外乱闘になるが、ブッチャーを机に叩きつけリングへ。しかしエプロンに上がってきたブッチャーに再度ドロップキックを決め場外に落とし、再び追いかけて客席後方まで行っての場外乱闘を続け7分2秒、両者リングアウトのドロー。
 
マスクマンのザ・スピリットとして来日しましたが、12月7日、福岡九電記念体育館での馬場とのPWFヘビー級選手権試合でマスクを剥がされて正体を明かされたキラー・カール・コックスが同タイプで共に垂直落下式ブレーンバスターをフィニッシュとするディック・マードックとシングルマッチ30分1本勝負で対戦。

試合開始5分位、コーナーの二人を分けようとした和田京平レフェリーがコックスに突き飛ばされてダウン、さらにキックを浴びせた為和田レフェリーはゴングを要請。ここでゴングが鳴らされたが、百田義浩リングアナから「この試合は、反則決着は無し」とアナウンスがされ試合続行。

場外乱闘でマードックを流血させたコックスは、リング上でもメリケンサックを使ってのパンチ攻撃。マードックも頭部へのパンチ攻撃でコックスの額を割り、両者額から流血。殴り合いに。コックスは、リングに上がってもメリケンサックを使ってのパンチ攻撃。マードックも頭部へのパンチ攻撃、両者ノーガードでのナックルでの殴り合いに。

お互いにブレーンバスターの応酬、さらにマードックはカーフ・ブランディングを見せました。

コックスをコーナーに詰めて攻撃するマードックに和田レフェリーが注意すると、マードックは和田レフェリーを場外へ投げ落とし、再び殴り合いに。セコンドがリングに入り二人を分けようとしましたが、マードックが園田一治(ハル薗田)に、コックスが大仁田厚をそれぞれブレーンバスターで叩きつける「競演」。

その後も両者は殴り合いを続けた為20分26秒、ノーコンテストとなりました。この試合は当時の「全日本プロレス中継」では放送時間の関係でリアルタイムでは放送されず、03年に放送開始したCS放送「日テレジータス」の「プロレスクラシック」でノーカット放送され、繰り返し再放送されており、現在でも視聴可能ですが、古き良き時代のテキサスのブラスナックルマッチを思わせる名勝負で、マニアの間では評価の高い試合となっています。

また、この日は10月15日に全日本プロレス入団会見を行った元幕内力士(最高位前頭筆頭)の天龍源一郎の「断髪式」行われています。

天龍は入団会見後、「ジャイアント・シリーズ」の巡業に同行しプロレスの基礎を学んだ後、11月に髷をつけたまま渡米、テキサス州アマリロのドリー・ファンク・ジュニアに預けられ、11月13日(現地時間)テキサス州ヘレフォードでテッド・デビアスとエキシビションマッチ15分1本勝負でデビュー戦を行い時間切れ引き分け。

髷をつけたまま渡米したのは「年内に妹の結婚式があり髷をつけた姿で出席するため」という理由でした。

鋏がリング中央に置かれたイスに羽織袴姿の天龍が座り、日本プロレスの役員で元小結の九州山が介添役を務めて開始。

まずは天龍の後援会会長の福田一衆議院議員の挨拶に続き、関係者37名が大銀杏に鋏を入れた後、芳の里日本プロレス代表、吉原功国際プロレス社長、ロード・ブレアースPWF会長、天龍の父親の嶋田源吾氏と続き、最後に師匠であり、新しい「親方」になる馬場がバッサリと髷を切り落としました。

断髪式を終えた天龍は、四方にお辞儀をした後リングを降りています。天龍は「力が抜けたような感じでした。イスに腰かけていなかったら、ガクガクと座り込んでしまったかもしれない」とコメント。

興行戦争は新日本プロレスの蔵前国技館が10,500人(満員)、全日本プロレスの日大講堂が12,000人(超満員)発表でしたが、同じ中学校の同級生が全日本プロレスの日大講堂に観戦しに行っており、4階の最上階までぎっしりとお客さんで埋め尽くされており、水増しではなく、掛け値なしの超満員だったようです。

全日本プロレスの豪華ラインナップに対し猪木vsウィリエム・ルスカ戦一本で勝負した新日本プロレスですが初戦ほどのインパクトはなく10,500人(満員発表)にとどまりましたが、この時に関しては馬場の物量攻勢の前に猪木・新日本プロレスが負けた、とハッキリと言えます。

他地方会場では愛知県江南市民体育館が先攻が新日本プロレスの11月9日で3,000人、後攻の全日本プロレスが12月3日で2,000人、神奈川県川崎市体育館は先攻が新日本プロレスの11月11日で2,500人、後攻の全日本プロレスは12月2日、テレビ収録で鶴田試練の十番勝負第7戦、vsクリス・テーラー、15人参加の豪華ヘビー級バトルロイヤルで3,500人。江南は新日本、川崎は全日本の勝ち。

また、大阪・寝屋川市民体育館は新日本プロレスが11月19日にテレビ生中継で2,000人、全日本プロレスは一つ前の「ジャイアント・シリーズ」10月24日に馬場とアブドーラ・ザ・ブッチャーのPWFヘビー級選手権試合をメインイベントに開催し3,700人(満員発表)でこちらは全日本の圧勝でした。

新日本プロレスの「闘魂シリーズ第2弾」は12月2日、大阪府立体育会館が5,000人、12月8日、横浜文化体育館が2,500人と終盤のビッグマッチの興行成績が不調で、モハメド・アリ戦でのイメージダウンによる「アリ・ショック」と言われたものが年松まで残存してしまった感じで、明らかに74年の猪木vsストロング小林の再戦、75年の猪木vsロビンソン戦と比較すると、新日本プロレスのリング上のトーンが落ちていたことは間違いのないところだと思います。

新日本プロレスはこの「アリ・ショック」は翌77年1月の「新春黄金シリーズ」で思いもよらない形で克服することになる訳ですが、これは77年編で書いていきたいと思います。
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