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2022年09月14日18:56

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ストロング小林さん追悼(249)

76年新日本プロレス「闘魂シリーズ第2弾」参加外国人プロレスラープロフィールの続きです。

リッキー・ハンターは75年10〜12月の「闘魂シリーズ第2弾」以来10か月ぶり、2年連続同一シリーズ参戦。前回の来日では開幕戦の75年10月24日、茨城県水戸市民体育館でのテレビ生中継のメインイベントに登場、ミスターX(ガイ・ミッチェル)と組んで猪木&坂口征二組の黄金コンビと対戦、2ー1で敗れましたが左膝ウィルス性関節炎(蜂窩織炎)による欠場から復帰間もない猪木を苦しめています。

また11月14日、香川県高松市民文化センターでのテレビ生中継ではセミファイナルでストロング小林とシンクマッチで対戦、16分39秒に体固めで敗戦となったものの、S小林を渋いテクニックで翻弄しました。

猪木、坂口、S小林のビッグ3を相手に十分渡り合える実力の持ち主です。

8月のブラジル遠征シリーズにも参加、唯一のテレビ収録大会だったサンパウロ・イビラプエーラ体育館大会では猪木とメインイベントで対戦、11分22秒、体固めで敗れていますが、この時はアマレス式の「吊りパンタイツ」を着用しており、太った腹を隠していたような感じです。

今回も貴重なバイプレーヤーとしてシリーズを引き締めてくれることでしょう。

初来日のシエン・カラス。ニックネームは「百の顔を持つ男」本名、カルメロ・レジェス・ゴンサレス1949年10月18日、メキシコ・ハリスコ州ラゴス・デ・モレノ出身の当時25歳。

アレナ・メヒコのルチャ・リブレスクールで“マエストロ“ディアブロ・ベラスコ、パンテラ・ネグラのコーチを受けて74年にメキシコ国内出端くアメリカのカリフォルニア州ロサンゼルスにて、サンソンのリングネームでデビュー。その後ミル・マスカラスを模したミル・カラスなるマスクマンを経て、「百の顔」を意味するシエン・カラスに改名。

メキシコではなくアメリカのロサンゼルスでデビューした要因としてはルチャドールとしては当時珍しい188cmの長身に104kgのヘビー級の立派な体躯。手足も長く、スケールの大きなルチャドールを目指していたからと思われます。

ドスカラスJrのアルベルト・デル・リオがメキシコよりアメリカで成功したのと同じスキームです。アメリカと言っても、ヒスパニック系移民の多いロサンゼルスを選んだのも正解で、ラウル・マタ、チャボ・ゲレロがスターとして成功している地盤でもありました.

弟のマスカラ・アニョ・ドスミル、ウニベルソ・ドスミルもルチャドール。シエン・カラス・ジュニア、エル・イホ・デル・シエン・カラスとは血縁関係はありません。

ただし、新日本プロレスが「第2のミル・マスカラス路線」として招聘したウラカン・ラミレスを初め、エル・サント(ハン・リー)、エル・レオン・ティニエブラス、サングレ・フリアーなどのメキシカンのマスクマンは、ルチャスタイルに迎合出来る日本人が星野勘太郎、柴田勝久、魁勝司しかおらず、メインイベントでは通用しなかった為、ことごとく失敗例に終わっており、今回も厳しいのではという声は強かったです。

新日本プロレス初参戦となる「タッグの解体屋」リップ・ホークは67年5〜6月の日本プロレス「アイアン・クロー・シリーズ」&「ゴールデン・シリーズ」(残留)以来9年4か月ぶりの来日。本名、ハーヴィー・モーリス・エヴァース。1921年6月6日、ノースカロライナ州シャーロッテ出身の当時55歳でこの時代は既に「ロートル」と呼ばれる年齢に達していました。

スウェード・ハンセンとの「泥棒タッグ」は小学館発行の「プロレス入門」に掲載され、多くのプロレス少年達の記憶に残るプロレスラー。

SWハンセンとのブロンド・ボンバーズで62年より、地元ノースカロライナを本拠地とするミッドアトランティック地区で「泥棒タッグ」としての活動を開始。以降、小型ラフファイターの司令塔Rホークと巨漢パワーファイターの執行者SWハンセンというコンビネーションのもと、各地のタッグマッチ戦線を席巻しました。

獲得したタッグタイトルはNWA世界タッグ(テキサス版、フロリダ版)、ミッドアトランティック・タッグ、フロリダ・タッグ、ウエスタンステーツ・タッグの各王座、

フロリダ版NWA世界タッグ王座は65年8月3日にはフロリダにてデューク・ケオムカ&ヒロ・マツダから獲得。67年5月には日本プロレスに揃って来日、6月25日、松山・愛媛県民館では猪木&吉村道明組が保持していたアジア・タッグ王座に挑戦しましたが2−1で敗れ、日本のベルトは「泥棒」出来ませんでした。

来日する直近は55歳とセミリタイア状態でしたが、前75はアメリカのIWAでビューティフル・ブルースとコンビを組んでいました。
 
単独での来日は残念ですが、この時は「泥棒タッグ」は一時活動休止(77年に再結成)しており、パートナーのSWハンセンはテキサス州アマリロにおり、そのルートから翌77年8月には全日本プロレスの「サマー・アクション・シリーズ2」に単独で来日しています。(この項続く)
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