mixiユーザー(id:21258650)

2022年09月14日06:29

365 view

ストロング小林さん追悼(248)

76年新日本プロレス掉尾を飾る「闘魂シリーズ第2弾」は10月29日、東京・福生市民体育館で開幕。

参加外国人選手は「サンフランシスコの帝王」パット・パターソン、「北海の獅子王」ラリー・ヘニング、リッキー・ハンター、シエン・カラス、リップ・ホークがシリーズ全戦参加、中盤戦〜後半戦特別参加が「ロシアの怪豪」イワン・コロフ、終盤戦には「オランダの赤鬼」柔道王ウィリエム・ルスカが特別参加。

シリーズを通してのエース格となるパターソンは本名ピエール・クレモント、1941年1月19日カナダ・ ケベック州モントリオール出身、の当時35歳、フランス系カナダ人。日本では長年43年生まれで猪木と同い年と伝えられて来ましたが、実際は猪木より2歳上。
 
15歳の頃から地元モントリオールにてプロレス興行の裏方として働き始め、同地区で活躍していたキラー・コワルスキーのコーチを受けて58年に17歳でデビュー。キャリア初期は 「プリティ・ボーイ」パット・パターソンのリングネームを名乗り、口紅を塗ってピンクのトランクスを穿き、ペットのプードルを連れてリングに登場するというゲイギミックで活躍。(実生活でもゲイをカミングアウトしている)

60年代からはアメリカ合衆国のNWAの主要テリトリーを中心に活動。オレゴン州を中心とした太平洋岸北西部では64年から66年にかけて、パシフィック・ノースウエスト・ヘビー級王座を通算3回獲得しています。

オレゴン時代にはアメリカ武者修行に来ていた猪木(オレゴンでのリングネームは「カジモト」)と一緒であり、そこで猪木との信頼関係が築かれていきました。

68年4月、師匠格のコワルスキー、ジェス・オルテガ、フレッド・ブラッシー、ターザン・タイラー、ドン・デヌーチ、アンジェロ・ポッフォらと共に日本プロレス「第10回ワールド・リーグ戦」に初来日。対日本側では馬場、猪木、大木金太郎、吉村道明の上位陣には敗退したものの星野勘太郎、山本小鉄、ミツ・ヒライ、デューク・ケオムカからは勝利を収め4勝4敗の成績を挙げました。

5月7日、熊本市体育館大会ではオルテガのパートナーに起用され、大木&吉村組が保持していたアジア・タッグ王座に挑戦するも2−1で敗れました。

日本から帰国後はテキサス州アマリロに転戦、68年7月18日、サンダーボルト・パターソンを破ってブラスナックル王座を獲得。10月24日にはトーナメントの決勝でパット・オコーナーを降し、同地区認定の北米ヘビー級王座を獲得しています。

69年からはカリフォルニア北部のサンフランシスコに定着、レイ・スチーブンスとのブロンド・ボンバーズで鳴らし、ヒールとベビーフェイスの両方のポジションで活躍。同地区のトップスターとなり、看板タイトルであるUSヘビー級王座には69年から77年にかけて、ペドロ・モラレス、ロッキー・ジョンソン、グレート・メフィスト、ムーンドッグ・ロニー・メイン、ザ・ブルート(バグジー・マグロー)、アンジェロ・モスカ、アレックス・スミルノフらを破り、通算6度に亘り王座戴冠。「サンフランシスコの帝王」の異名を欲しいままにしました。

73年8月24日、ロサンゼルス・オリンピック・オーデトリアムのリングに登場、ジョニー・パワーズとの北米タッグ王者チームとして猪木&坂口征二組の挑戦を受け2−1で3本目、反則負けによる王座防衛。

同年12月の「ワールドタイトル挑戦シリーズ」にパワーズと北米タッグ王者チームで新日本プロレスに初参戦。12月7日に大阪府立体育会館において、猪木&坂口組の再挑戦を受けまたも2−1の3本目反則負けで王座移動はなし。

その後、北米タッグ王座はカール・フォン・ショッツ&クルト・フォン・ヘス組→猪木&坂口組→ジェリー・ブラウン&バディ・ロバーツのハリウッド・ブロンドス→猪木坂口組→坂口&S小林組へと推移しています。

今回2年10か月ぶり3度目の来日、新日本プロレスには2度目の来日、サンフランシスコのメインイベンターでありスケジュールを押さえるのが大変な大物。S小林とは初対決。

今シリーズは12月8日に横浜文化体育館で「タッグの名手」Lヘニングと組んで坂口&S小林組の保持する北米タッグ王座に挑戦が決定しています。

新日本プロレス初参戦となるLヘニングは73年1月、国際プロレスの「新春パイオニア・シリーズ」以来3年9か月ぶりの来日、この時IWA世界ヘビー級王者時代のS小林とはシングルで3回対戦、1月9日、大分県営体育館では2−1でS小林の勝利。1月11日、宮崎県体育館では1−1から両者リングアウトの引き分け。 

シリーズ最終戦1月26日、横浜文化体育館では金網デスマッチで対戦しS小林がKO勝ちをしています。

タッグの名手としての評価は高く、若手時代のハーリー・レイスとAWA世界タッグ王座を保持、レイスにメインイベンターの何たるかを叩き込んだ事では有名。日本でも、国際プロレスに初参戦した70年11月19日、栃木県足利市月見が丘高校体育館で初来日のボブ・ウィンダム(ブラックジャック・マリガン)と組んでサンダー杉山&グレート草津組を破ってIWA世界タッグ王座を獲得、シリーズ中に3度の防衛に成功し、最終戦の12月12日、台東体育館でようやく杉山&草津組がベルト奪回を果たしました。

今回、この年の5月にモハメド・アリ戦のクローズド・サーキット(有料の衛星中継、今で言うところのライブビューイング)のPRに猪木がバーン・ガニアのところに出向いた際、ガニアと新日本プロレスの間に接点が出来、AWAからのブッキング第1号としての来日となりました。(結局、AWAと新日本プロレスのルートはこの時代は1回限りに終わる。後に89年にマサ齋藤が新日本の渉外担当取締役に就任してから、AWAの役員だったエリック・ビショフとの間で本格提携に入る)

猪木とは初来日した力道山時代の62年4月、日本プロレスの「第4回ワールド・リーグ戦」4月25日、名古屋・金山体育館(現在は跡地に日本特殊陶業市民会館ホールが建てられている)で1度だけ対戦。19歳でリーグ戦初出場の猪木は1ラウンド2分12秒、体固めでフォール負けし手もなく捻られています。(8分3ラウンド1本勝負)以来実に14年半ぶりの対戦となります。坂口とは初対戦となります。(この項続く)
7 2

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2022年09月>
日 月 火 水 木 金 土
    123
45678910
11121314151617
18192021222324
252627282930