76年新日本プロレス「闘魂シリーズ」開幕戦、8月27日、後楽園ホール(テレビ生中継、観衆2,000人発表)大会。日本側は第2回カール・ゴッチ杯争奪リーグ戦優勝の藤原喜明と、同リーグ第1回準優勝の小沢正志(キラー・カーン)は西ドイツへの短期修行に出ており、不参加。
メインイベントは次週9月3日、愛知県体育館で北米タッグ王座を賭けて対戦する坂口征二&ストロング小林組とスーパースター・ビリー・グラハム&イワン・コロフ組による同一カードでの前哨戦。北米タッグを争うチーム同士が、1週間前の開幕戦で同一カードで前哨戦を行うのは5月28日、同所における「ゴールデン・ファイト・シリーズ」開幕戦での坂口&S小林組vsジェリー・ブラウン&バディ・ロバーツ組のハリウッド・ブロンドス以来2回連続のことです。
1本目は13分32秒、コロフがS小林を体固め、2本目は3分34秒、S小林がコロフを逆エビ固めでギブアップさせて1−1。決勝の3本目は4分45秒、両チームリングアウトとなり、前哨戦は引き分けに終わっています。
セミファイナルは猪木がカール・フォン・スタイガーと69年7月の日本プロレス、東南アジア遠征ツアー、シンガポール大会以来7年ぶりの対戦。10分3秒、猪木が開幕戦から切り札、卍固めを出してカールをギブアップさせて豪快な勝利を飾っています。
カールは実力者とはいえ、コブラツイストでギブアップを奪えるレスラーだけに、アンドレ・ザ・ジャイアントとの「格闘技世界一決定戦」に向けて、意欲的なところを見せています。
カールの兄、クルト・フォン・スタイガーは木戸修とセミ前で木戸修とシングルマッチで対戦、10分8秒、体固めで勝利。星野勘太郎とテリー・ルージの玄人好みのシングルマッチは11分16秒、体固めで星野のフォール勝ち。素顔では日本初戦となるブラックジャック・モースは永源遙を9分45秒、片エビ固めで破りました。
第2戦、8月28日、神奈川県保土ケ谷市(現在の横浜市保土ヶ谷区)青果市場(観衆3,000人超満員発表)大会ではS小林がメインイベントに登場し、星野と組んでクルト&カールのフォン・スタイガー兄弟と対戦。
1本目は12分34秒、星野がカールを体固め、2本目は3分23秒、カールが星野を体固め、決勝の3本目は1分40秒、S小林がクルトを体固めに決めて2−1でS小林&星野組が勝利を飾っています。
猪木はセミファイナルに出場、モースとシングルマッチ45分1本勝負で対戦し、6分32秒、久しぶりとなるジャパニーズ・レッグロールクラッチホールド(回転足折り固め)で巨体のモースからフォール勝ちを奪っています。
セミ前では、後にWWWFヘビー級王座を賭けて対戦することになる坂口とグラハムがシングル初対決。10分43秒、両者リングアウトの引き分け。
コロフはこの日は永源とシングルマッチで対戦し、4分21秒、体固めでフォール勝ちし格の違いを見せつけましました。
第3戦は8月29日、横浜・青葉台駅前広場特設リング(観衆3,500人超満員発表)大会。S小林とグラハムがシングルマッチで初対決。共に不器用なボディビル出身のパワー・ファイターだけに力と力の真っ向勝負となり9分46秒、両者リングアウトの引き分けとなりました。同タイプのプロレスラーですが、吉原功国際プロレス社長、ヒロ・マツダにレスリングをみっちり叩き込まれているS小林の方が遙かにプロレスは上手いです。
メインイベントでは猪木&木戸&柴田勝久組vsコロフ&クルト&カールのフォン・スタイガー兄弟組による6人タッグマッチ。1本目は8分24秒、木戸がクルトを体固め、2本目は2分15秒、コロフが木戸を体固め、決勝の3本目は4分41秒、猪木がカールを体固めで降して2−1で猪木&木戸&柴田組に軍配が上がりました。
この日、昼間から港区南青山の新日本プロレス事務所で猪木が記者会見を行い、「NWA本部からの勧告に遵い、猪木が保持しているNWF世界ヘビー級王座から『世界』の二字を削除、以後のタイトルの名称は『NWFヘビー級選手権』とする」旨を発表しています。
8月6〜8日にネバダ州レークタホーにおいて開催された76年度のNWA総会で馬場側から指摘がありました。新日本プロレスの興行用ポスターを証拠として出し、「猪木はNWAのメンバーになってから1年も経っているのに未だに『世界王者』を名乗り続けている」と糾弾したのは当時馬場派だったマツダでした。
NWAではNWA世界ヘビー級王座(当時の王者はテリー・ファンク)を唯一無二の世界王者としており、それ以外の世界王者を認めておらず、馬場のPWFヘビー級王座、ニューヨークのビンス・マクマホン・シニアが所管しているWWWFヘビー級王座もNWA加盟を機に「世界」を外しており、猪木にも同じことを要求してきたのは自明の理と言えました。
猪木はこれに応じ潔く「世界」の二字を削除した訳ですが、逆に言えばクリーブランドを中心とし、ジョニー・パワーズ、ペドロ・マルチネスがプロモーターだったNWFが組織として既に機能しておらず、看板タイトルが新日本プロレスの所管にあったことが発覚した事案でもありました。
猪木はモハメド・アリ戦までは「プロボクシングとプロレスリングの世界王者同士の対決」という看板が必要だった為、世界王者を名乗っていましたが、アリ戦も終わり、世界の有無に執着する必要がなくなったということでしょう。
この年のNWA総会では、会長がジャック・アドキッセン(フリッツ・フォン・エリック)からフロリダのエディ・グラハムに交代。これはフリッツが現役へのこだわるを見せた結果でした。
新日本プロレスから全日本プロレスにジャンプした大木金太郎が馬場の推薦で「満場一致」で加盟が認められました。大木はリングでは「猪木に負けた半分の時間で馬場に負け」ましたが馬場はプロモーターとして大木を厚遇し、新日本プロレスに上がっていては絶対不可能だったNWAメンバーというブランドを与えています。
ブラジル遠征の為にNWA総会を欠席した猪木にとっては欠席裁判。モハメド・アリ戦に対する評価で、かつて65年に猪木が海外修行をしていたオレゴン州ポートランドのプロモーター、ドン・オーエンは「猪木に黄金のナイフを贈ろう」(これで切腹しろの意)と辛辣なコメントをしています。
法人格ではなく、個人加盟のプロモーターのカルテルであるNWAに関して猪木は興味を失ったか、時期は不明ですが、新日本プロレスでは坂口と新間寿がメンバーになっています。
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