76年新日本プロレス「闘魂シリーズ」参加外国人のプロフィールの続きです。
前半戦特別参加、「ロシアの怪豪」イワン・コロフは前75年11〜12月の「闘魂シリーズ第2弾」以来約9か月ぶり2度目の新日本プロレス参戦。(75年の新日本プロレス参戦以前のプロフィールについては本連載バックナンバーに詳細記載の為割愛)
前回の来日では75年12月4日、大阪府立体育会館でグレッグ・バレンタインと組んで猪木&坂口征二組の保持する北米タッグ王座に挑戦、2−1で敗れていますがコロフ自身はノーフォール負けで帰国。ストロング小林とも73年4月の国際プロレス参戦時以来の対戦をしましたがシングルでは2回対戦し1勝1分、タッグではコロフがカナディアン・バックブリーカーで1本ギブアップを奪っています。
帰国後すぐに猪木も出場した12月15日、ニューヨークMSG定期戦で10、11月と決着が付かなかったブルーノ・サンマルチノとケージ(金網)マッチでWWWFヘビー級王座を賭けて対戦、11分35秒、サンマルチノの場外エスケープにより負けを喫しました。
しかしサンマルチノと元同王者のコロフとの抗争はMSGを3か月連続ソールドアウトにし、76年に入ってからもWWWFのトップヒールとして活躍しています。
今回は新日本プロレス初登場のスーパースター・ビリー・グラハムと組んで9月3日、愛知県体育館で坂口&S小林組の北米タッグ王座に挑戦が決定。2人揃っての個々の実績では過去の挑戦者チームの中では最高の部類に属し、またグラハム&コロフ組は即席チームではなく、タッグ王座こそ獲得していませんがWWWFでもチームを結成して活躍しており、MSGでもトニー・パリシー&ルイス・セルダン(ジノ・ブリット)組、サンマルチノ&パリシー組、ヘイスタック・カルホーン&パット・バレット組らと激闘を展開しています。
後半戦特別参加のアンドレ・ザ・ジャイアントは前75年5〜6月の「ゴールデン・ファイト・シリーズ」以来1年3か月ぶり、新日本プロレスには4度目の来日。
前回は前半3週間の特別参加で開幕戦の5月30日、後楽園ホールではS小林の新日本プロレス正式入団第1戦の相手を務めて7分13秒、両者リングアウトの引き分け。6月5日、札幌中島スポーツセンターでは坂口と12分31秒、両者リングアウトの引き分けに終わりました。6月16日、仙台・宮城県スポーツセンターではザ・プロフェッショナル(ダグ・ギルバート)と組んで猪木&坂口組の北米タッグ王座に挑戦もプロフェッショナルが2本取られて2−0のストレート負けを喫しています。
前回は終盤1週間にNWF世界ヘビー級王者だったタイガー・ジェット・シンがアンドレと入れ替わりに参加、シリーズ最終戦の6月26日、蔵前国技館で猪木がシンを2−1で王座奪回を果たしており、猪木とのシングルマッチはなし。
猪木とアンドレは74年3月15日、岡山武道館で初シングル対決、20分19 秒、アンドレのマネージャーであるフランク・バロアがリング下から猪木の足を掬って倒し、そこへジャイアント・プレスを喰らって体固めで猪木がフォール負け。
この試合の4日後の3月19日、蔵前国技館で猪木vsS小林の初回対決が行われており、もし猪木vsS小林戦が間に合っていなければ蔵前では猪木にアンドレが挑戦したNWF世界ヘビー級選手権試合が行われる予定だったと言います。
2度目の猪木vsアンドレのシングルマッチは同74年12月15日(現地時間)ブラジル・サンパウロ・コリンチャン・スタジアムでNWF世界ヘビー級王座を賭けて対戦、19 分31秒、両者リングアウトとなっていますが、この時もアンドレは新日本プロレスに来日しており、3日前の12月12日に蔵前国技館で猪木とS小林の再戦が行われ、アンドレとの東京の大会場での対戦は後回しにされた感が強いです。
アンドレは結果的にはS小林に2回とも東京でのビッグマッチでの猪木戦を持っていかれたことになりましたが、シリーズ最終戦、10月7日、蔵前国技館でついに猪木とのシングルマッチがついに実現。
NWF世界ヘビー級王座を賭けての対戦かと思いきやこの試合、6月25日(日本時間26日)、ニューヨーク・センチュリー・シェア・スタジアムで「モハメド・アリからダウンを奪った男」プロボクシング元世界ヘビー級8位のチャック・ウェップナーとミックスドマッチで対戦、3ラウンド1分52秒、リングアウト勝ちしたアンドレと、6月26日、日本武道館でアリと15ラウンド対戦し引き分けたものの、ローキックでアリを病院送りにし、3点の減点がなければ判定勝ちしており、実質的な勝者と言える猪木によるプロレスラー同士の「格闘技世界一決定戦」として行われることになりました。
同じく後半戦特別参加のビル・ドロモは74年4〜5月の「第1回ワールド・リーグ戦」にマスクマンのジ・インベーダーとして来日して以来2年4か月ぶりの来日で素顔での新日本プロレス参戦は初。
「第1回ワールド・リーグ戦」ではキラー・カール・クラップに次ぐ2番手のポジションで、予選リーグ戦では猪木、坂口に負けただけの6点で決勝リーグに進出したものの、決勝リーグ戦で失速し予選では勝ったマサ齋藤に負け、星野勘太郎に反則負けと振るわず、2点に終わりました。
5月8日、東京体育館での優勝決定戦の巴戦第2試合の猪木vs坂口戦にクラップと共に乱入、試合をぶち壊し坂口を襲撃して額から大流血をさせてドクターストップによる棄権に追い込みました。ドロモで唯一残っているのがこのインベーダーとしての乱入シーンの映像です。
S小林とは72年9月、ドロモが国際プロレスに来日した時に対戦しています。9月20日、大阪府立体育会館ではバディ・オースチンと組んでS小林&グレート草津組が保持していたIWA世界タッグ王座に挑戦し2−1で敗退。
10月11日、米子市民体育館メインイベントはS小林vsドロモの金網デスマッチが行われ26分18秒、小林がカウントアウト勝ちしています。S小林とは実に4年ぶりの対戦となる訳です。(この項続く)
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