mixiユーザー(id:21258650)

2022年08月29日05:56

263 view

ストロング小林さん追悼(234)

76年新日本プロレス「アジア・リーグ戦」が閉幕してすぐに猪木ら新日本プロレス一行は74年12月以来となる猪木の第二の故郷、ブラジル遠征シリーズに出発。

参加外国人レスラーはピート・ロバーツ、リッキー・ハンター、アベ・ヤコブ(エイブ・ジェイコブス、72年9月、73年5月、74年10月に新日本プロレスに来日したマスクマン、「紅はこべ」レッド・ピンパネールの正体)に2月6日、日本武道館で猪木に敗れ、ロサンゼルスでプロレスラー修行をしていたウィリエム・ルスカ。

日本側は猪木、ストロング小林、星野勘太郎、木戸修、永源遙、木村たかし(聖裔、健吾)、荒川真(ドン)。ブラジル側から2月まで新日本プロレスで留学生として参戦していた元バーリ・トゥード(当時の呼称は「バリツーズ」)イワン・ゴメスが参戦しています。

第1戦は8月7日(日付は全て現地時間)、リオデジャネイロ・マラカナ体育館(観衆7,000人満員発表)で行われました。

S小林はPロバーツとシングルマッチで対戦し6分12秒、逆エビ固めでギブアップ勝ちを収めました。

猪木はセミファイナルに出場し、ヤコブとのシングルマッチ、3分27秒、バックドロップからの体固めで快勝しています。

メインイベントは地元ブラジルのヒーロー、ゴメスとルスカが対戦。ルスカは猪木に敗れた後、「猪木のプロとしての汚さに負けた。プロレスを研究してもう一度猪木に挑戦して勝つ」とプロレス修行を開始、新日本プロレスの提携先であるロサンゼルス地区でプロレスラーとしてファイトしました。

しかし、シュートマッチ志向が故、レスラー間ではルスカと試合をしたくないという選手も多く、6月25日(日本時間26日)、オリンピック・オーデトリアムでのモハメド・アリvs猪木の「格闘技世界一決定戦」に合わせて開催されたビッグマッチでドン・ファーゴを10分24秒、裸絞めで絞め落として勝った試合を最後にロサンゼルスからはリリースされていました。試合がしょっぱくさしものプロモーターのマイク・ラーベルも持て余したか、干された格好になった訳です。

ゴメスは74年12月に新日本プロレスが初回のブラジル遠征シリーズを開催した際、猪木に挑戦を表明しましたが、「プロレスを学んでみないか」との猪木の提案を受けて新日本プロレスに練習生として来日、75年5月16日、日大講堂大会でデビュー。

得意の足固め(ヒールホールド)で連戦連勝。無敗のまま2月6日、日本武道館大会を最後にブラジルに帰国していました。

ルスカは柔道着の上着に黒のロングタイツの上から赤のショートタイツを履いて登場、ゴメスは赤のショートタイツで登場。ゴメスには大歓声、ルスカにはブーイング。ルスカは柔道着の上着を脱いで上半身裸で試合を行いました。

試合はプロレスというよりバーリトゥードのスタイルの試合となり、両者ともアップライト気味の打撃の構えから試合がスタート。ゴメスがルスカのキドニー(腎臓)のあたりにオープンハンド(掌底)での打撃を連発、ルスカの脇腹が赤く変色していきました。

ルスカは肘打ちで反撃、ゴメスの顔面に張り手を見舞うと柔道では禁じ手となる当て身を連発、鼻っ柱にヒット、ゴメスはうずくまって顔面を覆うと鼻血が…。レフェリーのミスター高橋がチェック。

観客席からはルスカのファイトぶりに痛烈な野次が飛び、立ち上がって抗議する観客もいましたが、本業がバウンサー(酒場の用心棒)のルスカは肝の座り方が違いました。ゴメスに組み付くと首を押さえつけて跳ね腰から崩れ四方固め、ゴメスはロープへ。高橋レフェリーはブレイクを命じました。

両者再びリング中央でスタンディングの体勢、ゴメスが再びオープンハンド(掌底)でのキドニーブロー連打、これにはさしものルスカも片膝をついてダウン、ゴメスはルスカの頭を両腕で固定しておいての顔面への膝蹴り、肩口へチョップを見舞ってからスタンドでのアームロック、ルスカはロープへ逃げてブレイク。

ゴメスは一旦クリーンに離れると見せかけてキドニーブローの連打、これはルスカの喧嘩屋としての怒りに火をつけたか、左手でゴメスの顎を押さえて身体を離してから顔面に拳打ちでの右ストレート、さらに拳の内側を使ってのカウンターパンチ、これがゴメスの右眼にヒット、ゴメスの右瞼が切れて流血。

興奮した観客がリング上のルスカに向ってモノを投げつけてブーイング、出血で視界が悪くなったゴメスですが地元の誇りにかけて負けられない、とばかり組み付いてグラウンドに持ち込んで腕絡みから逆十字固め、ルスカはロープへ逃げます。

一旦ブレイクした後すぐにゴメスはマウントポジションからバックに廻って胴絞めスリーパーホールド、両者エプロン際での攻防、ロープを挟んでルスカがリング内、ゴメスはロープの外、というポジションでゴメスのスリーパーが決まっています。

ここで高橋レフェリーが唐突にカウント10を数え身体がロープの外に出ていたゴメスのリングアウト(エプロン・カウントアウト)負けを宣し、9分3秒、ルスカの右手を上げました。しかし攻めていたのはゴメスの方.

不穏試合と言われていますが、ゴメスの顔面からの出血を危険と判断し、喧嘩マッチに発展することを危惧した高橋が強引に試合を終わらせた感のある試合だったと言えます。

この時代、プロレスとバーリトゥードの線引きが曖昧でしたが、30分1本勝負のプロレスの試合として行われており、プロレスからは逸脱した内容の試合だったことは間違いないところです。

ルスカは第2戦の8月11日、首都ブラジリアでS小林と対戦する予定でしたがリオデジャネイロ体育協会からルスカの柔道では禁じ手となる当て身攻撃に対しクレームがつき、ルスカに対して「ブラジルでの試合出場停止処分」が下され、処分に不満のルスカは1試合行ったのみでオランダに帰国してしまいました。ルスカの勝ちにしたミスター高橋も追放処分となっていますがこちらはその後の大会にも出てレフェリングをしています。
4 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2022年08月>
日 月 火 水 木 金 土
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28293031