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2022年06月27日20:47

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ストロング小林さん追悼(172)

75年新日本プロレス「闘魂シリーズ第2弾」参加外国人選手のプロフィールの続きです。正体不明のマスクマン、ミスターXはガイ・ミッチェルの変身。42年カナダ・オンタリオ州ハミルトン出身、来日するたびにリングネームを変える謎のレスラー、初来日は72年1月の日本プロレス「新春チャンピオン・シリーズ」に素顔でザ・ストンパーとして登場。

それよりちょうど1年前の71年に同じ日本プロレスに初来日したアーチ・ゴルディのモンゴリアン・ストンパーと勘違いさせてファンを困惑させました。2度目の来日が73年1月の日本プロレス「新春チャンピオン・シリーズ」でこのシリーズは来日外国人レスラーのうち、6人中5人までがマスクマンというシリーズでしたが、全身赤マスクと赤コスチュームのレッド・デビルというマスクマンで参戦。

そして3度目の来日が初の新日本プロレスヘの出場でミスターXとしての来日となりました。

この後ミッチェルは全日本プロレスに転じ、80年2月の「エキサイト・シリーズ」にはラリー・バリアントとしてジョニー・バリアントとの「第3のバリアント・ブラザーズ」として登場、81年1月の「新春ジャイアント・シリーズ」にミッチェルの名前で参加したのが最後の来日となりました。

来日する度にキャラクターとリングネームが変わるという点ではスーパー・デストロイヤー(ドン・ジャーデン、ザ・ブッチャー、ザ・スポイラー)と双璧です。

ベテラン、リッキー・ハンターは新日本プロレス初参戦、36年3月1日カナダ・マニトバ州ウィニペグ出身の当時39歳。初来日は68年1月の日本プロレス「新春チャンピオン・シリーズ」。地味ながら実力者として定評あり。

フィデル&ラウルのカステロ・ブラザーズは71年6〜7月の日本プロレスの「サマー・ビッグ・シリーズ」に来日して以来4年3か月ぶりの来日で新日本プロレスには初登場。

兄フィデルはキューバの元大統領、独裁政治家の名前を拝借していますがおそらく日本のマスコミで「カストロ」→「カステロ」に変えたかと思われます。NETの「ワールドプロレスリング」では「コステロ」表記。ラウルはフィデルの実の弟。キューバ人を名乗っていますが、実はプエルトリコの出身というのが定説、カステロ・ブラザーズとしてカナダ地区で活躍しました。

初来日の「ロシアの亡霊男」イワン・カラマゾフ。生年月日出身地不明、ロシア出身を名乗っているが、実際はフレンチカナディアンではないかと思われます。

ルイジアナ地区を主戦場とし、前74年5月に新日本プロレスに初来日したイワン・プトスキー(リック・フェララ)とのコンビで南部タッグ王座を獲得。ドストエフスキーの小説「カラマーゾフの兄弟」にちなんでつけられたリングネームのようです。

後半戦からはついに新日本プロレスに元WWWF世界ヘビー級王者、「ロシアの怪豪」イワン・コロフが初参加。42年8月25日カナダ・オンタリオ州出身、生年には36年説もあるがこれは「逆サバ」でした。67年9月にレッド・マックナティのリングネームで日本プロレスに初来日。

68年より頭をスキンヘッドに剃り上げてロシアン・ギミックのコロフに変身。WWWF地区に登場、71年1月18日にはニューヨークMSGでブルーノ・サンマルチノをフライング・ニードロップからの体固めで破りWWWF世界ヘビー級王座を獲得。7年8か月に亘る第一次サンマルチノ政権を終わらせました。2月8日、同所でペドロ・モラレスに敗れ短命王者となりましたが、コロフは全米のビッグネームとなった訳です。

その年の6月にコロフとして日本プロレスに再来日を果たし、6月29日、東京体育館で馬場のインターナショナル王座に挑戦し2−1で敗退。また、7月1日には大阪府立体育会館でダッチ・サベージと組んで馬場&猪木組のBI砲のインターナショナル・タッグ王座にも挑戦、こちらも2−1で敗れましたが、エース外国人として活躍しました。

AWAでファイトしていた73年4月、国際プロレスの「ダイナマイト・シリーズ」に登場、ストロング小林とはここで対戦。これまで「闘魂シリーズ第2弾」で紹介してきた参加外国人の中では初来日のベアキャット・ライトを初め、S小林と内外問わず対戦経験のないレスラーばかりでしたが、コロフはS小林と激闘を展開。

4月18日、茨城県土浦スポーツセンターでマッドドッグ・バションとのタッグでS小林&グレート草津組を破りIWA世界タッグ王座を獲得。4月30日、足立区体育館でラッシャー木村&草津組を相手に2−0のストレート勝ちで初防衛。

5月14日、千葉県船橋ヘルスセンターローラースケート場でR木村&草津組の再挑戦の前にベルトを落としました。5月15日、埼玉県大宮スケートセンターでS小林のIWA世界ヘビー級王座に挑戦、2−1でS小林敗れました。

その後はWWWFに戻り、試合をしていましたが、この75年に米国版IWAに引き抜かれ移籍、7月10日、ニュージャージー州ジャージーシティ・ルーズベルト・スタジアムでミル・マスカラスの米国版IWA世界ヘビー級王座に超戦し1−1から両者リングアウトの引き分け。

22,000人の大観衆を動員しWWWFの屋台骨を揺るがしましたが、ビンス・マクマホン・シニアはヒールの要であるコロフを引き抜き返しました。これで形勢逆転、米IWAは撤退となりましたが、他にも要因はありました。

ルーズベルト・スタジアムはWWWFの本拠地ニューヨークとはハドソン川を渡ってすぐのところにありますが、地下鉄のマンハッタン駅から直結して行くことができたMSGと違い来場には車が必要だったこと。マスカラスvsコロフ戦の行われた初回の大会は無料送迎バスが出ましたが、第2弾以降は出なかったこと、またマスカラスの脇を固めるベビーフェイスの大物としてWWWFから移籍が確実視されていたビクター・リベラが両団体を天秤にかけた結果、WWWF残留を決めたことなどがあげられます。

WWWFに復帰したコロフは10月13日、MSGでサンマルチノと因縁の対決が組まれ、これが人気爆発。前売チケットはソールドアウトし、地下の劇場でのクローズドサーキット(今で言う有料のライブビューイング)までぎっしり埋まる超満員。コロフはサンマルチノの額を鉄柱に叩きつけて流血させ大荒れの末ノーコンテスト、サンマルチノを追い込みました。

来日直前となる11月17日、MSGで再戦が決まっており、結果次第ではコロフがWWWFヘビー級のベルトを持って新日本プロレスのリングに上がることも十分に予想されます。今回はシリーズ最終戦で猪木のNWF世界ヘビー級王座にビル・ロビンソンが挑戦するためNWF世界ヘビー王座ヘの挑戦はありませんが、12月4日、大阪府立体育会館でミスターXと組んで猪木&坂口征二組の北米タッグ王座ヘの挑戦が発表されています。

S小林との国際プロレス時代以来の2年半ぶりの力対力のぶつかり合いも非常に楽しみであります。
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