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2022年06月10日05:06

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ストロング小林さん追悼(153)

75年新日本プロレス「ゴールデン・ファイト・シリーズ」もいよいよ大詰め。終盤戦は関東地区にて激闘を展開しています。その中からストロング小林の所属初シリーズでの奮戦ぶりを中心にピックアップ。

6月23日、群馬県桐生市民体育館(観衆4,000人満員発表)大会ではS小林はセミファイナルで後の80年に国際プロレスに乗り込んでIWA世界タッグ王座を獲得することになる永源遙とタッグを組み、NWF世界ヘビー級王者タイガー・ジェット・シン&マスクド・グラディエーター組と対戦しました。

1本目は13分50秒、S小林がグラディエーターを逆エビ固め、2本目は4分43秒、シンがS小林を体固め、決勝の3本目は3分11秒、シンが永源を体固めに決めてシンが一人でS小林と永源の2人から2フォール奪ってシン&グラディエーター組が快勝しています。

6月24日、岐阜市民センター(観衆4,200人満員発表)大会。S小林はメインイベントで坂口征二とのパワー・ファイターズを結成、シン&グレッグ・バレンタイン組と対戦。

1本目は12分19秒、シンが坂口を体固め、2本目は4分46秒、坂口がシンに反則勝ち、決勝の3本目は7分3秒、坂口がGバレンタインを体固めでフォールし、2−1で坂口&S小林組の勝利に終わりました。

6月25日、静岡・駿府会館(観衆4,500人超満員発表)大会ではS小林はセミ前でグラディエーターとシングルマッチ30分1本勝負で対戦、9分23秒、片エビ固めでフォール勝ち。

シリーズ最終戦、6月26日、蔵前国技館(テレビ収録、観衆10,600人満員発表)大会。

メインイベントは猪木がシンのNWF世界ヘビー級王座に挑戦。2月にシンを「挑戦者としての資格に欠ける」とNWF本部による挑戦者指名を拒否、ニューヨーク州バファローのNWF本部まで乗り込んで行き、ベルトを返上した猪木でしたが、NWFが特使として派遣した猪木の師匠、カール・ゴッチに説得され、「筋を通してベルトは返上するが、改めてシンと王座決定戦を行う」との結論に達しました。

3月13日、広島県立体育館ではシンの秘密兵器ブレーンバスターから、カウンターの凶器攻撃で19分26秒、体固めで猪木が痛恨のフォール負け。シンにNWF世界ヘビー級王座を奪われました。

3月20日、蔵前国技館でのリターンマッチはシンの場外戦術にはまり、19分1秒、両者リングアウトの引き分け。「第2回ワールド・リーグ戦」終了後の5月19日、カナダ・ケベック州モントリオール・ポール・サウべ・アリーナでは60分3本勝負で1−1から猪木の反則勝ちとなりましたが、ルールによりベルト移動なし。

「今度、防衛したら猪木の挑戦は受けない」とコメントしていたシン。猪木にとってはラストチャンス。試合は60分3本勝負、1本目は10分41秒、猪木が鮮やかなジャパニーズ・レッグロール・クラッチホールド(回転足折り固め)で先制。

しかし2本目、シンの狂気が前面に出ました。恐怖の「虎の爪」コブラクローで猪木は喉に穴が開き喉から出血、シンは猪木を抱えあげると初公開のアルゼンチン・バックブリーカー、2分47秒、喉を潰された猪木はギブアップの声も上げられない位弱りシンの肩の上で失神状態となり1−1。

決勝の3本目、シンはダメージの残る猪木にブレーンバスターを2連発、フォールにいきましたが猪木は辛うじてカウント2で返す。猪木はドロップキックで突破口を開き、バックドロップ、ドロップキック、バックドロップと大技を連発、4分28秒、体固めで起死回生のフォール勝ち。2−1でついにNWF世界ヘビー級王座を奪還することに成功。

負けたシンは猪木と握手、猪木の手を上げて健闘を讃えました。一連の猪木vsシンの抗争の中でも一番の名勝負との声が高い試合でした。最後に猪木とシンが握手をしたことで、猪木vsシンの抗争「第一章」はとりあえず完結した感じでした。

セミファイナルは坂口&S小林組とGバレンタイン&ザ・プロフェッショナル組のタッグマッチ45分1本勝負。15分37秒、坂口がプロフェッショナルを片エビ固めで破り坂口&S小林組が最終戦を白星で飾りました。

6月6日にラッシャー木村が猪木に挑戦状を叩きつけましたが猪木がこれを「格が違う」と一蹴した話は本連載(149)に書いた通りですが、国際プロレスは「ビッグ・チャレンジ・シリーズ」終了後の6月25日、合宿を行っていた群馬県藤岡市のかぶら川鉱泉で記者会見を行い、吉原功社長とR木村が出席。前日(6月24日)に新日本プロレスリング株式会社、代表取締役・猪木寛至宛に「回答書」を出状したことを明らかにしています。

要約すると�ゝ�殿は私の挑戦を回避したものと見做す。�¬犠魴錣膿憩�本プロレスのリングに上がり、テレビ中継も新日本に、というのはあまりに無礼である。�5�殿の無礼な態度についてはリング上でそのお返しをしたいと考えている。というもの。結果的には合同興行、テレビ中継も折半でなければ意味なしとしてR木村と国際プロレスが事実上取り下げた形で決着をみました。

後々、国際プロレスのブレーン的存在であったフリーライターの菊池孝氏、東京12チャンネル「国際プロレスアワー」ディレクター、田中元和(たなか げんな)氏らの話を総合すると「挑戦状を書いたのは吉原さん、R木村は先輩レスラーに挑戦したいなどとは自分からは決しては言わない男。吉原さんが新日本プロレスとの合同興行目論んで、あわよくば、と思ったに過ぎず、案の定猪木にコケにされ、恥をかかされた結果になった。」というのがこの時の挑戦状の真意とのことでした。

しかしながら、もしこの時、S小林がR木村の猪木挑戦に「待った」をかけて、「猪木さんが出るまでもないですよ。R木村とは2度対戦して(73年7月9日、大阪府立体育会館、同9月27日、岐阜市民センター)2回とも俺が勝っている。IWA世界ヘビー級の王者になってどれだけ強くなったか?

俺もニューヨークでメインイベントを取って来た男、日本選手権に出る資格はある。まず俺がやってやる。実力日本一だの偉そうに言っているが、俺を倒してから猪木さんに挑戦しろ!」ぐらいのアピールをすれば面白かったのに…。と思います。

S小林もR木村も自己アピールが得意ではなく、口で闘うタイプではないだけに難しかったでしょう。特にS小林は国際プロレスを離脱した経緯からして関わり合いたくなかった、というのが本音でしょう。

全日本プロレスとの興行戦争ですが、史上初男子プロレス3団体が1週間中に後楽園ホールで興行を開催。先陣を切ったのが5月23日、全日本プロレスの「ブラック・パワー・シリーズ」開幕戦が1,400人発表。国際プロレスは5月26日、「ビッグ・チャレンジ・シリーズ」第2戦、こちらは新IWA世界ヘビー級王者となったR木村と初来日のキラー・トーア・カマタによる同タイトルマッチで2,500人満員発表。

最後が5月30日、新日本プロレスの「ゴールデン・フィット・シリーズ」で2,300人満員発表。国際と新日本はほぼ互角、全日本プロレスの一人負け。

広島県立体育館はシリーズ跨ぎで先攻の新日本プロレス「第2回ワールド・リーグ戦」猪木vsS小林、星野勘太郎vs山本小鉄のヤマハ対決で5,800人満員発表。全日本プロレスは3週間後の5月27日にザ・デストロイヤーvsブラック・デビルのPWF認定USヘビー級選手権試合&覆面世界一決定戦十番勝負第7戦をメインイベントに開催しましたが3,800人発表と全日本プロレスは満員には成らず。

東京の大会場は全日本プロレスが先攻で6月17日、東京体育館でメインイベントは馬場&鶴田組がボボ・ブラジル&ハンク・ジェームス組の「魔神兄弟」を相手に2−1でインターナショナル・タッグ王座5度目の防衛に成功しましたが、観客は6,700人発表と厳しい入り。

新日本プロレスのシリーズ最終戦6月26日、蔵前国技館は10,600人満員発表で、いずれも新日本プロレスが全日本プロレスを大きく引き離しています。
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