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2022年02月07日05:43

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ストロング小林さん追悼(32)

70年国際プロレス「新春チャレンジ・シリーズ」&「AWA世界戦シリーズ」大阪、東京の大場所2連戦が終わり、2月7日は千葉県銚子市民体育館(観衆3,500人発表)大会。

メインイベントはストロング小林&サンダー杉山に若手のマイティ井上を加えたトリオがモンスター・ロシモフ&マイケル・ネイダー&バッドボーイ・シールド組と対戦。

1本目は27分42秒、シールドが杉山を体固め、2本目は4分47秒、杉山がシールドを体固め、3本目は両陣営共に決め手を欠き、60分時間切れとなり1−1の引き分けとなる熱戦でした。

AWA世界ヘビー級王者バーン・ガニアは2月9日、盛岡で王座挑戦を受けるグレート草津とシングルマッチ45分3本勝負で対戦、1本目は15分57秒、ガニアが裸絞め(スリーパー・ホールド)で先制。2本目は4分7秒、草津がエビ固め、決勝の3本目は7分54秒、再びガニアの裸絞めがガッチリと決まり草津は脱出出来ずギブアップ負け。前哨戦は2−1でガニアが完勝してしまいました。

前哨戦で完敗してしまったら、挑戦資格なしと思われても仕方ないですが、このあたりは国際プロレスの日本側の力量不足が如実に出てしまっています。

田中忠治はカシモドとシングルマッチで対戦、15分20秒、アバラ折り(コブラツイスト)でギブアップ勝ちを収めました。

2月8日、栃木県宇都宮スポーツセンター(テレビ収録、観衆4,000人満員発表)大会。メインイベントはガニアと杉山のノンタイトル時間無制限1本勝負。この試合はタイトルマッチにしてもおかしくないカードで、自身も48年ロンドン五輪アマレスアメリカ代表となり、オリンピアン大好きだったガニアは同じオリンピアンの杉山のことは高く買っていたと思います。試合は16分51秒、ガニアのリングアウト勝ちとなりました。

セミファイナルは小林とロシモフの今シリーズ3度目のシングル対決60分3本勝負、1月14日大分では1−1から小林の反則勝ち、1月25日飯能では1−1から両者リングアウトの引き分けと決着はついておらず、この日が今シリーズ最後の一騎討ちとなりました。

1本目は15分20秒、小林の反則勝ち、2本目は5分31秒、ロシモフが体固め、決勝の3本目は2分23秒、両者リングアウトの引き分けでまたも決着はつきませんでした。

草津&田中&大磯武組vsネイダー&シールド&カシモド組の6人タッグマッチ45分3本勝負は1本目は16分51秒、草津がアバラ折り(コブラツイスト)でシールドからギブアップ勝ち、2本目は5分24秒、シールドが田中を体固め、決勝の3本目は6分44秒、田中がネイダーから体固めで決勝のフォールを奪い、2−1で草津&田中&大磯組の勝利。 

2月9日、盛岡・岩手県営体育館(テレビ収録、観衆4,500人満員発表)大会。メインイベントではガニアのAWA世界ヘビー級王座に草津が挑戦、2日前の銚子でのノンタイトル戦ではガニアに完敗を喫している草津だけに、本番では一矢報いたいところでしたが…。

1本目は7分37秒、ガニアが裸絞め(スリーパー・ホールド)で先制、2本目は16分13秒、両者リングアウトに終わり、2−1でガニアがタイトル防衛に成功、初来日最終戦を勝利で飾りました。

セミファイナルの6人タッグマッチは小林&杉山組のパートナーに大剛鉄之介が抜擢されてロシモフ&ネイダー&カシモド組と対戦。1本目は10分13秒、ロシモフが杉山を体固め、2本目は3分55秒、杉山がカシモドを体固め、決勝の3本目は2分16秒、杉山がロシモフから体固めで決勝フォールを奪い、杉山が1人で2本取る活躍ぶりを見せて2−1で小林&杉山&大剛組に軍配が上がっています。

外国人選手との対戦が常態化してきた感のある井上はシールドとシングルマッチを行い、15分13秒、体固めで敗れました。

2月11日、板橋区体育館(テレビ生中継、観衆1,500人発表)、この日の大会はガニアが9日の盛岡大会で帰国した為、「AWA世界戦シリーズ」の看板は外れ、「新春チャレンジ・シリーズ」のみの最終戦となりました。

メインイベントは2月3日、広島大会の再戦、草津&杉山組の新IWA世界タッグ王者チームに前王者チームロシモフ&ネイダー組が挑んだリターンマッチ。1本目は9分48秒、両チームリングアウト、2本目は2分11秒、草津がネイダーを足4の字固めに決めて2−1で草津&杉山組が勝利。初防衛に成功しています。このシリーズにおける両チームの対戦成績は2勝1敗で草津&杉山組が勝ち越しです。

初来日のロシモフはまだ線が細くネイダーと組んでIWA世界タッグ王座に就く実績は残しましたが、試合運びはまだまだでした。控室でマネージャーのエンリケ・エドに「試合がなってない!」と叱責され、平手打ちをくらい泣きながら謝っていたというエピソードもありました。

前回、ガニアと運命的出会いを果たしたと書きましたが、「ミネソタ・ボクシング&レスリングクラブ」のオーナーだったガニアはロシモフに「お前、アメリカにきてヘビー級のプロボクサーにならないか?」と話を持ちかけましたが、ボクシングは全くやってこなかったロシモフはこれを固辞しています。

おそらく、ガニアは「動くアルプス」としてプロボクシングでも世界ヘビー級王者となり、後にプロレスラーに転向したプリモ・カルネラのようなイメージでロシモフを売出し、見世物的な扱いをしようと思っていたのでしょう。

ロシモフとガニアが本格的につながるのはこれより2年後の72年、ヨーロッパを出て、カナダに転戦した時の話になります。

小林はセミファイナルでシールドとノンタイトル戦で対戦、1月13日の鹿児島ではUSAヘビー級王座を賭けて対戦、2−1で小林が勝っています。1本目は15分47秒、2本目は4分8秒、いずれも体固めで小林が2−0でストレート勝ちしています。

シールドは前69年2月に国際プロレスに来日したデーブ・ラールのブッキングによるカナダ人レスラーでしたが、来日したガニアにゴマをすりAWAにブッキングされ「ブル・バリンスキー」のリングネームで活躍しました。

田中とカシモドのシングルマッチは9分37秒、田中が逆エビ固めでギブアップ勝ちを収めています。

この日は1月9日に引退を表明した豊登の引退セレモニーが行われています。引退試合は行わず。力道山死後の馬場がアメリカ修行から帰国するまでのショートリリーフでしたが日本プロレスのエースとして活躍した名レスラーの引退セレモニーが板橋区体育館というのは寂しい限りでした。

その後豊登は表舞台から姿を消していましたが72年3月6日、大田区体育館で行われた新日本プロレスの旗揚げ興行に姿を現し観客に挨拶、日本人選手層が薄かった為、猪木に「試合に出て下さい」と頼まれ、観客もこれを後押し。「テレビ放送がつくまで」という条件付きでカムバック。NETが日本プロレスから新日本プロレスに鞍替えする前の73年2月まではリングに上がっています。(賭博好きで会社の資金を横領して2度も懲戒解雇に近い形で日本プロレス、国際プロレスを追われた豊登を追い出せとNETが新日本プロレスに通告したのが真相と言われる。)
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