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2020年12月05日23:13

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ありがとう!横浜文化体育館(88)

プロレスリング・ノアは08年に入ってからも観客動員の低下は続きました。08年9月、両膝、腎臓癌の手術を乗り越え復帰を果たしていた小橋建太が、剛腕ラリアットのダメージもあり、腕に力が入らなくなり右腕遅発生尺骨神経麻痺及び両肘関節遊離帯の手術の為に長期欠場。

同年末には本田多聞、菊地毅、齋藤彰俊、井上雅央、泉田純至、志賀賢太郎、川畑輝鎮、レフェリーのマイティ井上が契約更改されず、09年から1年間はフリーとしてノアに参戦するが(他団体への参戦は自由)、その後の保証はされないというリストラが行われています。

09年1月4日、新日本プロレス東京ドーム大会に三沢光晴が約7年ぶりに出場、杉浦貴と組んで中邑真輔&後藤洋央紀組と対戦、15分17秒、中邑の飛び付き式腕ひしぎ逆十字固めに杉浦がギブアップ負け。

2月には日本テレビ「プロレスリング・ノア中継」が3月末で打ち切られるという報道がなされ、「日本テレビ、55年間のプロレス放送の歴史に幕」という見出しがスポーツ紙に載りました。54年2月19〜21日、蔵前国技館で行われた日本初のプロレス国際試合から続いた地上波での放送がついに打ち切られる、という内容の記事でしたが、

日本テレビは72年5月、日本プロレスが猪木除名・追放処分後のNET(テレビ朝日)の強い要請で馬場をNETの画面に登場させた時と、00年6月、全日本プロレスの三沢以下ノア勢が大量離脱の時と2度に亘って放送打切りを行っており、これが初めてではなく69年7月の放送開始以来51年間、日本プロレスから新日本プロレスに鞍替えはありましたが放送を一度も打ち切っていないテレビ朝日の方が偉業だと言うことはハッキリと言えます。

プロレスリング・ノア中継は従来通り日本テレビ系列のCS放送日テレジータスで完全中継が月1〜2回の不定期放送される他、旗揚げ当初中継していたファイティングTVサムライの中継も4月より復活が決定。

地上波最終収録は3月1日、日本武道館大会で、この日は肘の手術に成功した小橋が176日ぶりに第1試合で復帰し雅央を剛腕ラリアットからの片エビ固めでフォール勝ち。メインイベントでは前08年9月6日、日本武道館で森嶋猛を破ってGHCヘビー級王者となった佐々木健介(健介オフィス、後のダイヤモンド・リング)が秋山準に敗れて王座転落、ベルトはノアに戻っています。

日本テレビ地上波版「プロレスリング・ノア中継」最終回は3月29日日曜日深夜から放送され、次代の担い手として潮崎豪にスポットライトが当てられて完結となりました。バトンを渡された感のある潮崎は4〜5月に開催された「グローバル・タッグリーグ戦」に三沢と組んで出場し、5月6日、日本武道館大会では健介&森嶋組を撃破して優勝。

リーグ戦に優勝した三沢&潮崎組は6月13日、広島グリーンアリーナでバイソン・スミス&彰俊組の保持するGHCタッグ王座に挑戦しましたが、彰俊のバックドロップを喰らった三沢がそのまま動かなくなり27分3秒、レフェリーストップで試合終了。三沢は心肺停止状態となり救急車で広島市内の病院に救急搬送されましたが22時10分、死去。享年46歳。死因は後日、頚髄断裂と発表されました。プロレス界に限らず、日本中に衝撃が走りました。

翌14日の博多スターレーン大会は決行され、追悼セレモニーが行われました。メインイベントではGHCヘビー級王者秋山が力皇猛の挑戦を受け、初防衛戦を行う予定でしたが、秋山は頚椎椎間板ヘルニアの為に欠場、ベルトは返上となり、代わって前日三沢の最後のパートナーとなった潮崎が力皇と王座決定戦で対戦、22分37秒、ゴーフラッシャーからのエビ固めで勝ち王座獲得しています。

シリーズ終了後の7月4日、ディファ有明にて三沢お別れの会「DEPARTURE」が開催され、延べ26,000人のファンが来場、ピーク時には会場最寄り駅である「ゆりかもめ」有明テニスの森の2つ先の新豊洲駅まで人が並び、故人との別れを惜しみました。

7月7日にノアの新人事が発表され、三沢の後任の代表取締役社長には田上明が就任、取締役副社長には小橋、丸藤正道が専任されましたが、小橋を社長にと推していた前副社長の百田光雄は自分の希望が叶わず退団を表明しています。

10年11月8日にはGHCタイトル管理委員長であり、日本プロレス、全日本プロレスでレフェリーとして長年活躍したジョー樋口(本名・樋口寛治)が肺腺癌の為81歳で死去。翌11年11月22日には2日前の11月20日、後楽園ホールでの「グローバル・リーグ戦」に出場していたBスミスが遠征先のプエルトリコで心臓発作の為、38歳の若さで急死しています。

三沢が亡くなった09〜11年の3年間は横浜文化体育館大会の開催はなし。聖地日本武道館での興行も10年12月5日を最後に撤退を余儀なくされています。興行規模の縮小からノアの横浜大会は関内の横浜ラジアントホールが中心となり、10年3月28日には「グローバル・リーグ戦」パシフィコ横浜展示ホール大会が開催されていますが2,100人発表と不入りに終わりました。

12年1月には佐野巧真が契約更改されず、フリーとなりました。

12年3月8日、3年9か月ぶりに横浜文体大会「GREAT VOYAGE12 in Yokohama」(テレビ収録、観衆3,500人満員発表)が開催されました。小橋はこの年の2月19日、仙台サンプラザホールで行われた東日本大震災復興支援チャリティープロレス「ALL TOGETHER」でムーンサルトプレスを出した時に膝を負傷、またもや欠場中でした。

GHCヘビー級王座は潮崎→杉浦→潮崎→森嶋と移動、メインイベントでは王者・森嶋に丸藤が挑戦しましたが、GHC王座戦にしては早い試合タイム、12分25秒、バックドロップからの片エビ固めで森嶋が勝ち王座防衛。

セミファイナル、秋山&彰俊組が保持していたGHCタッグ王座には全日本プロレスの武藤敬司が潮崎と組んで挑戦。こちらは30分4秒というロングマッチの末、秋山がスターネスダストからの体固めで潮崎を降して秋山&彰俊組が王座防衛を果たしました。

セミ前に組まれたのは鈴木鼓太郎&青木篤志組の持つGHCジュニア・ヘビー級タッグ王座にスペル・クレイジー&リッキー・マルビン組が挑戦、24分11秒、鼓太郎がマルビンをマスドライバーからの片エビ固めで破り鼓太郎&青木組が防衛に成功。

健介とモハメドヨネのシングルマッチは16分24秒、ノーザンライトボムからの片エビ固めで健介の貫禄勝ち。「ノーマーシー」のリーダー、KENTA(この時は怪我で欠場中)によりマスクマン、マイバッハ谷口に変身していた谷口周平は宮原健斗(ダイヤモンド・リング)を7分2秒、マイバッハ・ボムからのエビ固めでフォール。

ノーマーシー、金丸義信&平柳玄藩組vsダイヤモンド・リング、中嶋勝彦&梶原慧組は12分49秒、金丸が梶原をタッチアウト(旋回式垂直落下式ブレーンバスター)からの片エビ固めで破り、第1試合は石森太二が留学生のハーレム・ブラバドを7分20秒、エビ固めに丸め込みで勝利を収めています。
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