04年のガイアジャパンは横浜文化体育館での興行はなく、毎年4月に行われる旗揚げ周年興行(9周年)は4月30日、初使用となる国立代々木競技場第二体育館(観衆3,200人発表)で行われ、長与千種&ライオネス飛鳥組のクラッシュ2000がシュガー佐藤&永島千佳世組の保持するAAAWタッグ王座に挑戦。長与が二段蹴りで永島を破り王座獲得。
豊田真奈美の負傷により返上されたAAAWシングル王座は暫定王座決定トーナメントが行われ、03年10月25日博多スターレーンでの決勝で長与を破ったダイナマイト・関西が暫定王者となり、復帰を果たした王者豊田と11月30日、後楽園ホールで統一戦を行い、負傷からのブランクのある豊田を関西が破って正式に王者に認定されました。
04年1月11日、関西は浜田文子に敗れ王座転落。その浜田に代々木で里村明衣子が挑戦。24分7秒、スコーピオ・ライジング(カカト落とし)からの片エビ固めで浜田を破り里村が王座を獲得。シングルとタッグの両方のベルトが移動しました。
04年10月3日、後楽園ホール大会の全試合終了後、全選手がリングに上がり、杉山由果に代わって統括からガイアジャパン代表取締役となっていた木村一廊がマイクを持ち、半年後の解散を発表。突然の解散発表に観客席は大きなどよめきに包まれました。
04年11月3日、後楽園ホールでクラッシュ2000が翌05年4月での解散を発表。飛鳥も同時期での引退を表明しました。12月12日、後楽園ホールでは首の慢性的故障を抱えていた山田敏代が引退。引退試合は行われませんでしたが、セレモニーでは大量の赤い紙テープが投げられ、17年間の選手生活にピリオドを打っています。
ガイア最後の横浜文化体育館大会は解散興行の1つ前、05年4月3日、旗揚げ10周年記念興行「横浜FINAL INPACT」(観衆5,800人満員発表)として行なわれました。
メインイベントはクラッシュ2000ラスト&飛鳥引退試合、長与&飛鳥組とS佐藤&永島組が対戦。19分43秒、飛鳥が19分43秒、LSD�靴�らの片エビ固めで永島を破り、クラッシュの最後と引退の決勝フォールを自らの手で決めてみせました。
セミファイナルは里村のAAAWシングル王座にアジャ・コングが挑戦。アジャは何度も辛酸を舐めさせられている里村にベテランの意地を見せ20分47秒、裏拳からの片エビ固めでフォール勝ちし王座奪取。解散により空位になることは決まってはいましたが、同王座の最終保持者に名前を残しました。
里村とアジャのライバルストーリーは翌06年、里村がみちのくプロレスの女子部として設立された地域密着型女子プロレス団体「センダイガールズ・プロレスリング」のリングに持ち越しとなりました。
AAAWタッグ選手権試合、王者チーム豊田&カルロス天野組に植松寿絵&輝優優組の「植松輝」の友情タッグが挑戦。19分49秒、輝がかつてのJWP同期、天野をランニング・エルボーからの片エビ固めで破り、こちらもベルト移動。植松輝が王者となりました。
尾崎魔弓&浜田&アメージング・コング組vs関西&AKINO(秋野美佳)&GAMI(二上美紀子)組の6人タッグマッチ。浜田、AKINO、GAMIは03年に崩壊したアルシオン出身。本日記ではこの後アルシオン編の執筆も予定していますので団体崩壊に至った経緯はそちらで書きますが、AKINOとGAMIは03年に全日本女子プロレスを退団した堀田祐美子がプロデューサーとなって旗揚げされた「メジャー女子プロレスAtoZ」の所属となっていました。
アルシオン業績悪化の一因でもある浜田の退団で、残されたAKINOとGAMIは腹に一物あったかと思いますが、試合は25分2秒のロングマッチの末、浜田がAPクロスからの体固めでGAMIを破りました。
他、広田さくらと下田美馬のシングルマッチは下田がタイガー・スープレックスホールドで勝ち、第1試合では大御所ジャガー横田が登場、ガイア最後の生え抜き新人である水村綾菜(水波稜)を全女伝統の押さえ込みからの体固めで破っています。
横浜文体から1週間後の05年4月10日、後楽園ホールでガイアの最終興行が行なわれ、メインイベントでは長与と里村の師弟対決が実現、12分33秒、里村がスコーピオ・ライジングからの体固めで長与超えを果たし、カリスマ長与からのバトンを受け継ぎました。
95年4月15日、後楽園ホールでの旗揚げ戦から丸10年で解散。他の団体のように資金繰りが逼迫しての解散ではなく、黒字経営による解散であり、解散理由はさまざま取り沙汰されていますが、長与は03年の終わり頃から引退を考えており、引退後の長与の処遇について、所属選手と折り合いがつかず、また、大半が他団体から参戦してきた大物フリー選手ばかりであり、余計団体を今後どうしていくかにおいて長与、他の所属選手、フリー選手とフロントとの間に修復不可能な溝が出来てしまったことが要員かと思われます。
ガイア最終興行からさらに1週間後の05年4月17日、後楽園ホールで老舗全女が最終興行を行い37年間の活動に終止符。これを機に女子プロレス界は興行的なスケールは小さくなり、選手による自主興行が増え、さらに細分化されていくことになります。
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