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2020年10月29日22:16

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ありがとう!横浜文化体育館(51)

ウルティモ・ドラゴンが創立したルチャ・スクール闘龍門は96年にメキシコで設立されました。Uドラゴンについては本連載のユニバーサル編、SWS編、WAR編でも書いて来ましたが、WARに入団後、96年8月5日新日本プロレスのリング行われたでジュニア8冠王座(IWGPジュニア・ヘビー級、英連邦ジュニア・ヘビー級、WAR認定インターナショナル・ジュニア・ヘビー級、WWF世界ライト・ヘビー級、NWA世界ジュニア・ヘビー級、UWA世界ライト・ヘビー級、WWA世界ジュニア・ライト・ヘビー級、NWA世界ウェルター級)決定トーナメント決勝でみちのくプロレスのザ・グレート・サスケに敗れ初代王者にはなれなかったものの、

同年10月11日WAR大阪府立体育会館でサスケを破って8冠王座を獲得するなど活躍しましたが(97年1月4日新日本プロレス東京ドーム大会で獣神サンダー・ライガーに敗れ転落)。Uドラゴンはこの時点でWCW入りを決めており、97年1月12日、WAR後楽園ホール大会でWCWへの移籍と壮行試合を行いました。

WCWと並行しながら闘龍門興行の旗揚げ準備を進め、97年5月11日にはメキシコ・アレナ・ナウカルパンで旗揚げ興行を行いました。が、UドラゴンはWCWで右肘の関節の手術を受けて手術が失敗、医療ミスが起き右肘が動かなくなり、試合出場が困難になり、長期欠場ヘ。

Uドラゴンは闘龍門の日本進出に先駆け、98年には交流のあったみちのくプロレスに一期生となるシーマ・ノブナガ(CIMA)、ジュードー・スワ(SUWA)、WARの営業部員だった肩書を持つスモー・フジ(スモー・ダンディ・フジ、ドン・フジイ)の「クレイジーMAX」を参戦させました。 

98年のみちのくプロレスはサスケがやさぐれ系ルードのSASUKEに変身、サスケ・ザ・グレート(折原昌夫)、折原とトンパチマシンガンズを結成していたバトラーツの小野武志、チャビンガー(茂木正淑)らと「SASUKE組」を結成していた時期でした。

99年1月31日、この日は馬場が肝不全の為に午後4時4分に入院先の新宿の東京医科大学病院で61歳で死去するという日本プロレス史上、大きな出来事があった日ですが、その日の昼に後楽園ホールで闘龍門ジャパンが日本逆上陸シリーズ第1戦、「キングオブ・ドラゴン」開幕戦を開催しています。

横浜文化体育館大会は2月7日の同シリーズ最終戦として開催され、4,986人超満員発表の観客を動員しました。この日はUドラゴンが94年11月8日、WAR後楽園ホールでライオン・ハート(クリス・ジェリコ、メキシコでのリングネームはコラソン・デ・レオン)を破って獲得したものの、負傷の為空位となっていたNWA世界ミドル級王座決定トーナメントが行われました。この時点で60年の歴史を誇り、かつてはメキシコ修行時代の佐山聡も巻いたことがある由緒正しいベルトです。

トーナメント準決勝はマグナムTOKYOとSフジが対戦、8分41秒、シューティング・スタープレスからの対戦がでマグナムの勝利。SASUKEは愚乱・浪花を13分9秒、浪花の回転エビ固めを切り返したエビ固めでフォール。

もう一枠、シーマがSグレートを13分7秒、マッドスプラッシュからの体固めで破り、決勝はマグナム、SASUKE、シーマによる3WAYで行われる予定でしたがシーマが膝を負傷し棄権。決勝はマグナムとSASUKEの一騎討ちに。21分51秒の激闘の末、SASUKEがサンダーファイヤーパワーボムからのエビ固めで勝ちN WA世界ミドル級王者となりました。

セミファイナルはドラゴン・キッドにスワが挑戦したN WA世界ウェルター級選手権試合、8分45秒、ドラゴン・ラナ(旋回式前方高角度回転エビ固め)ですドラゴン・キッドが王座防衛を果たしました。

旗揚げ2年目のこの時点で最新の女子プロレス団体アルシオン提供試合、秋野美佳(AKINO)&マリー・アパッチェ組vsガミ・メタル(二上美紀子、GAMI)&ファビー・アパッチェ組は16分8秒、マリーが実妹のファビーを雪崩式ライガーボムからのエビ固めという危険な技で降しました。

闘龍門の前座の名物カード、武輝道場から闘龍門入りしクレイジーMAXの一員だったTARU(多留嘉一)と「オレたちひょうきん族」のブラックデビルをモチーフとしたストーカー市川のシングルマッチは5分33秒、TARUドリラーからの指押さえ式体固めでTARUの勝利。

日本逆上陸第1戦のシリーズを大成功に終わらせた闘龍門は若い女性ファンを掴み順調に躍進しましたがUドラゴン校長と現場の対立もあり、Uドラゴンは孤立、神戸市を本社として04年に設立されたドラゴンゲートが後継団体として発足、武輝道場、闘龍門と渡り歩いた岡村隆志が代表取締役に就任、7月の神戸ワールド記念ホールを初め3月の両国国技館(2回で中断)、5月の愛知県体育館、11月の大阪府立体育館、12月の福岡国際センターなどビッグマッチをことごとく超満員にし、新日本プロレスに次ぐ業界第2位となりました。

18年になり看板スター選手だったCIMAが離脱、鷹木信悟も新日本プロレスヘ移籍、運営会社が株式会社ドラゴンゲートから株式会社ドラゴンゲート・エンターテインメントに以降、代表取締役には木戸亨氏が就任。新体制となっています。

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