96年2月にはFMWと袂を分かち、W☆ING、IWAジャパンでブッカーをしていたビクター・キニョネスがヘッドハンターズら配下の選手を引き連れてFMWにカムバック。ビクターのルートからテリー・ファンクが参戦。
5月5日の川崎球場大会で、長らく女子部を支えてきたコンバット豊田が同期である工藤めぐみとのノーロープ有刺鉄線電流爆破デスマッチで敗れて引退しています。工藤も8月23日、後楽園ホールで翌97年5月での引退を表明しました。
松永光弘も5月5日、川崎球場大会でのカクタス・ジャック戦を体調不良(肝炎)の為に出場キャンセルし、以後FMWのリングには上がらず、その後はグレート小鹿が代表を勤める大日本プロレスに参戦する傍ら東京・墨田区立花にステーキ屋「ミスター・デンジャー」を97年4月に開店しました。
そんな中リング上に再三介入した大仁田厚は96年12月11日、駒沢オリンピック公園体育館大会でのミスター・ポーゴ引退試合で「一夜限り」のカムバックをしましたが、一夜限りと言いながらも翌97年からは限定ながら度々試合に出場することになります。
大仁田の復帰はFMW内部でも強い反発を呼びますが、創業社長である大仁田に荒井昌一社長が押し切られてしまうのと、大仁田が出ると地方大会のチケットの売上が伸びるので仕方ない面はありました。
97年2月には前96年10月にWARを退団した冬木弘道、邪道、外道の冬木軍が参戦。冬木はレスラーとしてのみならず、フロント入りし反大仁田派として大仁田と対立していくことになります。
97年は4年連続開催して来た5月5日の川崎球場大会は行われず、4月29日、横浜アリーナで工藤がシャーク土屋との電流爆破マッチで引退。正規軍の中山香里、RIE(バッドナース中村改め)、池田陽子らは頑張ってはいましたが、身体が小さかったこともあり工藤、C豊田の代わりになるには至らず、男性ファンの多かった工藤の引退は観客数の減少に影響を与えました。
10月には大仁田がヒールターン。9月28日の川崎球場で大仁田との電流爆破マッチに敗れてW☆ING同盟の解散を発表、「W☆ING金村」のリングネームを返上した金村ゆきひろを初めとするW☆ING同盟の元メンバーと「ZEN」というユニットを結成してFMW本隊との対立図式を生み出しましたが大きな話題には繋がらず。
また、邪道、外道、金村、ミスター雁之助、非道等による「ブリーフ・ブラザーズ」など試合前の時間を使ったリング上でのショートコントも展開されましたが賛否両論でした。
新たにCS放送に参入して来たディレクTVと契約を締結、初のPPV大会を98年4月30日、横浜文化体育館からの生中継で開催。(観衆5,900人超満員発表)FMWはGAORA(格闘チャンプフォーラム枠と特番)、パーフェクTV(スカイパーフェクTV)のファイティングTVサムライとCS放送局を変更してきましたが、今回ディレクTVにさらに鞍替えして特番生中継に臨みました。
FMWの荒井社長は冬木にマッチメークの権限を委任していました。
メインイベントは雁之助の持つWWA世界ブラスナックル&インディペンデントワールド世界ヘビー級の二冠王座にハヤブサが挑戦。21分45秒、ハヤブサがフェニックス・スプラッシュからの片エビ固めで勝利。二冠王座を獲得しています。
セミファイナルには大仁田vs冬木のストリートファイト・デスマッチが行なわれ、15分32秒、冬木が大仁田の得意技であるサンダーファイヤー・パワーボムからのエビ固めで大仁田からフォール勝ちを収めました。
セミ前にはクラッシャー・バンバン・ビガロが登場、田中将斗とシングルで対戦しフォール勝ち。
冬木新体制になり、大仁田はFMWでの存在感は薄くなり過去の人になりつつありました。冬木は脱・大仁田を図るべくWWFをモチーフとした日本では最も難しいとされる「エンターテインメント路線」を打ち出していきます。
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