東日本大震災が起きた11年は全日本プロレスの横浜文化体育館の興行は開催がありませんでしたが、この年、10月23日、両国国技館で行われた「東日本大震災チャリティー興行」において、ノアから来襲した外敵・秋山準が諏訪魔を破って三冠ヘビー級王座を獲得。秋山は00年のノア移籍までの全日本プロレス在籍時、三沢光晴、川田利明、田上明小橋健太(建太)の四天王の次に位置する「五強」と言われていましたが三冠ヘビー級王座戴冠の経験はありませんでした。
秋山は太陽ケア(ノアのリング)、アメリカ遠征中に02年にノアを退団、その後WJ、ゼロワン、フリーながら新日本プロレスやSMASHに参戦、古巣全日本に戻って再入団を果たした大森隆男、武藤敬司、ケア(新日本プロレス&全日本プロレス創立40周年記念合同興行)と防衛しましたが12年8月26日、新装なった大田区総合体育館で船木誠勝の挑戦を受け、僅か4分57秒、ハイブリッド・ブラスターの前にフォール負けを喫し王座転落。総合格闘技色の強い船木が馬場がかつて持っていた三冠のベルトを巻きました。
また、リング外では、12年5月28日、神戸サンボーホールでの控室でヒールユニット、ブードゥー・マーダーズのリーダーTARUがスーパー・ヘイト(平井伸和)の不甲斐なさに立腹し口論となり、暴行を加え、ヘイトが意識不明の重体となる事件が発生。
6月2日に事件の全容が明らかにされ、TARUは解雇処分、事件を見ていて止めなかった稔(田中稔)、河野真幸、MAZADAらも無期限出場停止処分の対象となり、責任を取って武藤は代表取締役を辞任。後任には武藤を支えてきた側近の内田雅之が就任しています。本件で武藤をマスコミで批判した和田京平レフェリーが退職願を出して受理されています。
12年9月23日、「40th Anniversary year FLASHIMG TOUR」最終戦(観衆3,400人発表)で2年ぶりに横浜文体大会(観衆3,800人発表)大会では船木の持つ三冠ヘビー級王座に全日本プロレス生え抜きの意地をかけて諏訪魔が挑戦しました。私はこの興行は生観戦しています。
前回書いたこれより2年前の10年10月24日の横浜文体大会と同一カードでしたが、今度は立場が逆。船木が王者として諏訪魔を迎え撃ち、27分11秒、ハイブリッド・ブラスターからの体固めで船木が勝って初防衛に成功。諏訪魔に星を返しました。
メインイベント前に会場のビジョンに「スコット・ノートン参戦」の画像が流されると観客席からは大歓声が湧き上がりました。ノートンは次期シリーズに来日が決定。
全日本プロレスでは90年代の新日本プロレスのリングで大活躍したスーパースター達を単発で招聘することを計画、第1弾としてケビン・ナッシュが参戦、この日武藤と組んでケア&真田聖也(SANADA)組と対戦、15分30秒、ナッシュがジャックナイフ(高角度パワーボム)から片エビ固めでフォールしています。
全日本プロレスでは翌13年1月には超大物リック・フレアー(エコノミー症候群による血栓症を理由に試合せず)、3月にはかつて武藤とユニット「BATT」を結成していたドン・フライを招聘しました。
世界タッグ王者チーム、大森隆男&藤波辰爾の「無我ワールド・プロレスリング」でデビューし、全日本に移籍した征矢学組の「GET WILD」はジョー・ドーリング&ゾディアック組と防衛戦を行い、13分16秒、大森がアックスボンバーからの片エビ固めでゾディアックを降して王座防衛。
世界ジュニア・ヘビー級王者、大和ヒロシはパンクラスMISSIONの佐藤光留の挑戦を受け、17分12秒、クロスアーム式スープレックスホールドで王座防衛に成功しています。
一方で、12年11月、全日本プロレスの株式を企業再生、投資業務を行っている「スピードパートナーズ」の白石伸生代表が取得し全日本プロレスのオーナーに就任。白石体制がスタートしますが、白石はFacebook上で「ケツ決めなしのガチンコプロレスをやる」などと過激な全日本プロレス批判の投稿を繰り返し、悪い意味で注目を集めました。
1月に前12年12月でノアを退団した秋山、潮崎豪、金丸義信、鈴木鼓太郎、青木篤志の5人の「バーニング」が全日本プロレスに参戦を表明。秋山、金丸は全日本でデビューしていますが、他の3人はノアでデビューしています。
白石オーナーが来て内田は代表取締役を解任され、役員もスピードパートナーズから送られて来ており、武藤との間に確執が生じ、武藤は13年6月30日で全日本プロレスを退団。武藤について行き退団したのはカズ・ハヤシ、近藤修司、河野真幸、真田、KAI、大和、浜亮太、征矢、中之上靖文ら。武藤派は新団体「WRERTLE-1」(レッスルワン)を設立、9月8日には東京ドームシティ・JCBホールで旗揚げ興行を開催しました。
90年のSWS、00年のノアに次ぐ3度目の全日本プロレス大量離脱のお家騒動。残された諏訪魔が選手達を説得。外敵として参戦していた「バーニング」の5選手は全日本プロレスに入団(後に潮崎、金丸、はノアに戻り、鼓太郎はフリーに)、13年6月30日、後楽園ホールでの「サマー・アクション・シリーズ」最終戦から新体制で再スタート切りました。全日本プロレスを離れ、フリーとなっていた和田京平レフェリーは「名誉レフェリー」として復帰を果たしています。
横浜での興行は同じ関内駅にあるラジアントホールでの小規模な大会が中心となり、横浜文体大会はしばらく開催がありませんでした。
ログインしてコメントを確認・投稿する