04年9月3日、全日本プロレス「サマー・インパクト」最終戦、横浜文化体育館(観衆4,500人満員発表)では三冠ヘビー級王者、川田利明が新日本プロレスの西村修の挑戦を受けての防衛戦。新日本プロレスの中において、90年代の中心にいた現場監督の長州力へ反逆、「ラリアットプロレス」に異を唱え、独自にヒロ・マツダ、ドリー・ファンク・ジュニアの師事を受けていた西村は異質な存在でした。
三冠ヘビー級王者は武藤敬司→川田→天龍→グレート・ムタ→橋本真也(ゼロワン)→川田と移動、武藤体制にあって王道イズムを継承してきた川田は27分12秒に後頭部へのPKからの体固めで勝利。7度目の防衛を果たしています。
西村は新日本プロレスがユークスの子会社となった最初の年の06年1月末の新日本プロレスとの契約を更改せず、ヒロ斉藤、後藤達俊、吉江豊らと06年6月末付で新日本プロレスを退職した藤波辰爾を中心とした「無我ワールドプロレスリング」旗揚げメンバーとなりましたが、翌07年10月18日、無我ワールド後楽園ホール大会で自分の試合が終わるとタクシーに乗り込み、タイツ姿で同日同時刻開催の全日本プロレス国立代々木競技場第二体育館に姿を現しリングに上がっており、そのまま全日本プロレスへ移籍しています。
セミファイナルでは武藤と小島聡のシングルマッチが組まれ武藤がシャイニング・ウィザードからの体固めで勝っています。
川田はこの後太陽ケア、天山広吉(新日本)、佐々木健介と防衛し三沢光晴が持つ三冠ヘビー級王座防衛最多記録9を超える10度目の防衛に成功、05年2月16日、国立競技場代々木第二体育館で小島に敗れてベルトを明け渡し、「無所属」宣言をして全日本プロレスを離れ、ノア、新日本プロレス、ハッスルのリングに戦場を移していきました。
07年7月1日、「CROSS OVER」最終戦横浜文体大会(観衆4,800人超満員発表)は「プロレスLOVE in横浜」として行われ、鈴木みのるの三冠ヘビー級王座に武藤が挑戦。私はこの興行は生観戦しています。
三冠ヘビー級王座は小島→ケアと移りましたが、06年9月3日、札幌・メディアパーク・スピカで、新日本プロレス→ノアと転戦して全日本プロレスに殴り込んできたパンクラスMISSIONの鈴木がケアを破り王座獲得。
日本プロレス時代からの歴代の至宝である三冠のベルトを振り回りしたり、踏みつける行為で全日本ファンの反感を買った外敵のヒールチャンプとして憎悪を集めていた鈴木でしたが、この日は新日本プロレス時代の先輩に当たる武藤と、かつての新日野毛道場でのスパーリングを見るかのような見ごたえのあるグラウンドの攻防を展開。
26分54秒、鈴木のヒールホールドが決まり、両膝の可動域に限界のある武藤はたまらずギブアップ。鈴木がタイトル防衛に成功。鈴木は「このケンカは俺の勝ちだ!」とバックステージで咆哮しました。
セミファイナルはこの時期ヒールターンしてブードゥー・マーダーズ入りしていた小島がTARU&諏訪魔(04年10月11日、後楽園ホールでデビューしたアマレス出身の期待の新人、小島より前にヒールターンしブードゥー入り)とトリオを結成して健介&ケア&武藤全日本になってからデビューした生え抜き新人真田聖也(SANADA)組と対戦。イスを持ち出した小島が反則負けを取られるも、両チームの意向で再試合。
8分51秒、小島がラリアットからの片エビ固めで真田をフォールしてブードゥー・マーダーズが勝利を収めました。
ジュニア・ヘビー級リーグ戦はTNAのクリス・セイビンが、元ドラゴンゲートのヒールユニット「悪顔一色」(アーガンイーソー)を解雇されてブードゥー入りした近藤修司を破って優勝。
08年9月28日の「FLASHING TOUR」最終戦、横浜文体大会(観衆4,500人満員発表)。こちらも私は生観戦していますが、メインイベントではブードゥー・マーダーズを卒業しベビーターンし鈴木→健介と移動し、健介に勝って三冠ヘビー級王座についた諏訪魔がグレート・ムタの挑戦を受けました。
試合は24分25秒、ムーンサルトプレスでムタが勝ち三冠ヘビー級王座を獲得。武藤はこの年、08年4月27日、新日本プロレスの大阪府立体育会館で中邑真輔を破り、IWGPヘビー級王者となっており、この時点でも王座を保持。魔界に住んでいる化身のムタが三冠ヘビー級獲得という前代未聞の事態になりました。
05年2月20日、新日本プロレス両国国技館で三冠ヘビーに王者小島、IWGPヘビー級王者天山がダブルタイトルマッチを行い、時間切れ寸前の59分45秒、天山が脱水症状を起こしてダウンし、小島がKO勝ちで初の三冠、IWGPの「四冠王」になったことはありましたが、本人とそのギミックレスラーが同時に別団体の最高峰のベルトを手にしたのはこれが初。
武藤の強欲ぶりがよく出ていますが、この出来事を考えると現在ノアのリングに上がっていますが、57歳でGHCヘビー級王座獲得を狙うと言うのも、本当に実現してしまいそうな感じです。
セミファイナルはブードゥー・マーダーズから抜けてベビーターンした小島が新日本プロレスから参戦の天山、&武藤全日本生え抜きのKAI(同期には真田、現在のBUSHIのT−28=テツヤ、こと清水哲也、大和ヒロシがおり、20年10月現在でもそれぞれのポジションで活躍している)が組vs鈴木&ケア&MAZADA(正田和行)組の「GUREN隊」と対戦、小島がラリアットでMAZADAを破っています。
ベビーターンした小島はKAI、大和、同じくブードゥーよりベビーターンしたゾディアックらと「F4」というユニットを結成しています。
00年の三沢以下ノア勢の大量離脱により、長く交わることがなかった全日本とノアですが、武藤の社長就任、馬場元子社長の撤退で交流が実現。04年7月10日、ノア東京ドーム大会には武藤とケアがタッグを組んで三沢&小川良成組の世界タッグ王座に挑戦。同年7月18日、全日本の両国国技館には三沢が出場、4年ぶりに古巣のマットに立ちました。
同年10月31日、全日本の両国国技館で武藤&三沢組という社長タッグが実現し馳&健介組を破っています。一旦は途絶えた交流でしたが、ジュニア戦線から再び火がつきました。
この日、「方舟の天才」丸藤正道が全日本プロレスのリングに8年ぶりに登場。馬場存命時の98年8月28日、岡崎市体育館でデビュー、ノア移籍後はGHCヘビー級、同タッグ、同ジュニア・ヘビー級、同ジュニア・ヘビー級タッグとベルトを総ナメにした実績を引っ提げて、王道マットに久々の帰還を果たし、バトラーツ解散後は全日本に上っていた土方隆司の持つ世界ジュニア・ヘビー級王座に挑戦。
78年5月17日埼玉県狭山市出身の土方と79年9月26日埼玉県北足立郡吹上町(現在の鴻巣市)出身の丸藤は同じ埼玉県栄高校レスリング部の1年先輩後輩の間柄でありました。
28分30秒、ポールシフトからの片エビ固めで土方を破り全日本伝統の世界ジュニア・ヘビー級王座を獲得しています。
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