88年4月22日、新日本プロレス沖縄・那覇市奥武山体育館大会試合後の控室。ビッグバン・ベイダーの攻撃を受けてダメージの残る猪木に藤波が決起。この「スーパー・ファイト・シリーズ」では4月27日、大阪府立体育会館(ノンタイトル)、5月7日、プロレスこけら落としとなる有明コロシアム(IWGPヘビー級選手権試合)で猪木とベイダーの2連戦が予定されていましたが、藤波は体力的に衰えが来ていた猪木にはベイダーとの連戦は無理であると、自分とベイダーとの対戦を組んで欲しいとアピール。
これが「飛龍革命」ですが、このあたりのやりとりの件(くだり)は横浜文化体育館とは外れますので割愛致しますが藤波は救急箱からハサミを持ち出して自分の前髪を切り本気度を見せ、猪木の張り手にもお返しの張り手を見せて反撃。16歳で日本プロレスに入門し猪木の付人を務めて以来18年、初めて公の場で師匠に逆らいました。
飛龍革命については私の過去作品「飛龍革命〜あれから30年〜」(2018年4月)に詳しく書いてありますのでそちらをご一読頂けると幸甚です。
猪木は翌4月23日、宜野湾市総合体育館大会の当日朝、日課にしていたジョギング中に右足の甲を亀裂骨折しシリーズを欠場。IWGPヘビー級王座を返上。
藤波は4月27日、大阪でのベイダーとのノンタイトル戦では場外でのベイダー・アタックを鉄柱に誤爆させてリングアウト勝ち。5月8日(雨天の為順延)有明コロシアムで行われた王座決定戦では、16分2秒、反則勝ちにより藤波が第2代IWGPヘビー級王者となりました。
新王者となった藤波でしたが、次の「IWGPチャンピオン・シリーズ」では5月27日、仙台・宮城県スポーツセンターで長州力の挑戦を受けた初防衛戦で、足を痛めて試合続行不可能となったものの、何故か裁定はノーコンテスト。レフェリーストップ負けに等しいノーコンテストで王座転落を免れた藤波はこの裁定を不服としてベルトを返上。
6月24日、大阪府立体育会館で藤波と長州との間で改めて王座決定戦が行われ、藤波が首固めでフォール勝ちし自ら返上したベルトを再び獲得。第3代王者となりました。2日後の6月26日には、有明コロシアムに次いでプロレスこけら落とし興行となった名古屋市総合体育館レインボーホール(現日本ガイシホール)でベイダーの挑戦を受けて初防衛戦を行い、逆さ押さえ込みながら猪木でさえ当時、フォールを奪えなかったベイダーからカウント3を奪って初防衛に成功しました。
一方の猪木はこの「IWGPチャンピオン・シリーズ」は全休したものの、6月10日、広島県立体育館の控室に姿を現し、次期シリーズでの復帰を示唆。
また、このシリーズ大阪大会の前日の6月23日にノーテレビの横浜文体大会が組まれ、M齋藤&長州組がディック・マードック&アドリアン・アドニス組を破ってIWGPタッグ王座を防衛。アドニスはWWFとの契約が切れ3年ぶりに新日本プロレスに参戦していますが帰国直後の7月4日、カナダ・カルガリー郊外で交通事故に遭い、34歳の若さで急逝。最後の来日となりました。横浜出身の鈴木実(みのる、当時20歳)が地元で飯塚孝之(高史)を相手にデビュー。
7月15日、後楽園ホールで開幕した「サマー・ファイト・シリーズ」で復帰を果し、同シリーズに開催されたIWGPヘビー級王座挑戦者決定リーグ戦にベイダー、M齋藤、長州、木村健吾とともにエントリー。7月22日、札幌中島体育センターでは長州のリキラリアットの前に僅か7分55秒、体固めに敗れましたが、7月29日、有明コロシアムでのベイダー戦では、ロープをコーナーに固定させる為に使う金具の棒でベイダーの右腕を攻撃して腕から流血させ、16分45秒、大巨人アンドレ・ザ・ジャイアントからギブアップを奪ったのと同じ逆片腕固めでついにベイダーから一本勝ちの勝利を収め、1位でリーグ戦を通過。
8月8日、横浜文化体育館での特別興行「スーパーマンデーナイト・イン・ヨコハマ」で愛弟子藤波のIWGPヘビー級王座に挑戦しました。
藤波vs猪木のIWGPヘビー級選手権試合が都内の1万人超収容規模の大会場ではなく、中規模の横浜文体で開催された経緯については、両国国技館が前87年暮れの暴動事件で使用出来なかったこと、85年9月19日に同じ対戦カードが組まれた千駄ヶ谷の東京体育館は新しい体育館を建築中だったこと、先に使った有明コロシアムは交通の便が悪いという難点があり、当時はまだ屋根がなく、当日は特番で午後7時30分からの90分枠での生中継があり、雨天順延の心配があり使われなかったこと等の理由はあるでしょうが、当時の新日本プロレスの人気では藤波vs猪木というカードを持って来たにせよ、都内の1万人超規模の大会場を満員にすることが出来なかったというのが実際のところです。
45歳、持病の糖尿病の悪化から体力の衰えが目立つ猪木は藤波戦に進退を賭けると発言し、それが「猪木負けたら引退か!?」と特番で煽られ、メインイベントの実況にはかつての「金曜午後8時」の黄金時代を飾った古舘伊知郎、解説に山本小鉄が放送席に座り、番組開始冒頭は猪木の生い立ちからの半生を振り返るVTRが流され、「アントニオ猪木、最後のリングか!?」というテロップが流され、引退ムードが高まってしまいました。
横浜文体は6,070人(超満員札止め)発表の観客が詰めかけ、藤波と猪木の一戦は60分フルタイム闘っての時間切れ引き分けとなりました。猪木は藤波の健闘を讃え、自らの手で藤波の腰に自身が創設したIWGPヘビー級のベルトを巻いてあげました。
そこへ長州が猪木を、越中詩郎が藤波を肩車し、肩車された両者が握手をかわす大団円を迎え、観客席からは大きな拍手と歓声が湧き上がりました。藤波は猪木に勝つことは出来ませんでしたが、新日本プロレスのビッグマッチ興行がこのような形でハッピーエンドで終わったのは久しぶりであり、前年の前田日明の長州顔面襲撃、年末の両国国技館での暴動騒ぎ等の禊を行ったことで飛龍革命はここに完結致しました。
8月8日の特番は試合の途中で放送時間が終了。8月13日午後4時からのレギュラー枠で、60分フルタイム戦の為に途中でところどころカットはされていますが最後まで放送されました。番組のエンディングで、地方巡業のシーンのVTRがサザンオールスターズの「旅姿六人衆」と共に流されたのは粋な演出でした。
藤波vs猪木の横浜文体決戦は、飛龍革命の結実と同時に昭和プロレスの終焉を告げる闘いでもありました。時代は平成へと移り変わっていきます。
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