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2020年01月13日07:23

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週プロ流智美あの日あの時予想2019年総括(3)

第69戦 1月23日発売号●【予想】ハルク・ホーガン、アイアン・シーク破りWWF世界ヘビー級王座獲得。(84年ニューヨークMSG)【正解】藤波、カルロス・ホセ・エストラーダ破りWWWFジュニア・ヘビー級王座獲得。(78年ニューヨークMSG)【参考】2013年1月23日発売号はジャック・ブリスコvs馬場NWA世界、PWFダブルタイトルマッチ。(74年全日本プロレス長崎国際体育館)

【解説】前年より体調不良が伝えられてきたWWF代表、キャピタル・レスリング・コーポレーション代表ビンス・マクマホン・シニアに代わり、実権を握ったビンス・マクマホンは、プロレスビジネス拡大の為に、WWFヘビー級王者をボブ・バックランドからハルク・ホーガンに変えることを画策しました。

バックランドは78年2月20日、ニューヨークMSGでスーパースター・ビリー・グラハムを14分51秒、ハイアングル・アトミックドロップからの体固めで破りWWWF(当時)ヘビー級王座を獲得。

79年11月30日、徳島市立体育館で猪木に28分16秒、バックドロップからの体固めで敗れ王座転落、12月6日、蔵前国技館でのリターンマッチではタイガー・ジェット・シンの乱入に気を取られた猪木をアトミックドロップの要領で担ぎ上げ、股間をトップロープに打ち付けてフォール。カウント3が入りましたが、立会人でもある新間寿WWF会長が「バックランドは急所を攻撃してフォールした」と無効を主張。

27分19秒、ノーコンテストが宣告され、猪木は現状のまま(初防衛にはカウントされず)を認められましたが、これを潔しとせず王座を返上。12月17日、ニューヨークMSGで、バックランドは前月の11月にレフェリーストップ勝ちでフォール決着のついていないボビー・ダンカンと王座決定戦を行い、17分18秒、回転エビ固めで破り王座返り咲きを果たしました。

猪木のWWFヘビー級王座獲得についてはビンス時代に入り、公式記録から抹消されていますが、この辺りの経緯については過去作品「猪木とビンス」をご一読頂けると幸甚です。

バックランドは「闘う王者」として、ニューヨークを中心とした東部地区以外でも活躍。初回王座獲得の3日後、78年2月23日、フロリダ州ジャクソンビルでNWA世界ヘビー級王者、ハーリー・レイスとダブルタイトルマッチ(60分時間切れ引き分け)、79年3月25日、カナダ・トロント・メープルリーフ・ガーデンではAWA世界ヘビー級王者、ニック・ボックウィンクルとダブルタイトルマッチ(両者リングアウト)で対戦。

80年9月22日にはMSGにNWA世界ヘビー級王者レイスを呼んでダブルタイトルマッチをホームリングで開催、35分29秒、反則勝ちで勝利。ベルト移動はありませんでしたが、内容でレイスを圧倒し、「リアルワールドチャンピオン」の呼び声が高くなりました。

しかし、WWFの実権を握ったビンスはバックランドでは従来のレスリングビジネスの域を出られないと判断、ミュージシャン出身のホーガンを担ぎ出し、エンターテインメントに徹しマーケット拡大を図ろうと計画、AWAで試合をしていたホーガンを引き抜きました。

そしてショートリリーフ王者として打倒バックランドの刺客に選ばれたのはアイアン・シーク。この辺りの手法はブルーノ・サンマルチノからペドロ・モラレスへベルトを移動させる際のイワン・コロフ、モラレスから第二次サンマルチノ政権へ戻す時のスタン・スタージャックと同じです。

83年12月26日、MSGでIシークはテレビテーピング時にバックランドを襲撃して負傷させたバックランドの肩を狙い、キャメルクラッチ。5分10秒、バックランドのレフェリーストップ負けで王座はIシークに移動しました。

そして迎えたこの日、満を持してIシークに挑戦したホーガンは8分52秒、ギロチンドロップからの体固めでフォール勝ちを収め、WWF世界ヘビー級王座を戴冠。以後「ハルカマニア」路線がスタートし、ビンスの全米制圧がスタートすることになりました。世界のプロレス界の歴史を塗り変えた記念すべき一夜となりました。

藤波は74年12月8日、刈谷市体育館で行われた第1回カール・ゴッチ杯決勝で小沢正志(キラー・カーン)を破り優勝。海外修行の切符を手に入れました。

75年5月30日、後楽園ホールでの「ゴールデン・ファイト・シリーズ」開幕戦のリングで観客に藤波と共にヨーロッパ修行に出る木戸修、メキシコ修行に出発のリトル浜田(グラン)、橋本小助と海外修行出発の挨拶を行った後、「アメリカでショーマンスタイルのレスリングを身につけるより、ヨーロッパで本物のレスリングを勉強して来い」という猪木の方針により、先ずは西ドイツのハノーバーで修行を積み、翌76年2月に木戸が帰国するとフロリダのカール・ゴッチの元へ。

ゴッチの指導を受けノースカロライナへ転戦し、ドクター・フジナミのリングネームで活躍。77年からはメキシコUWAで試合をし、カネックと抗争を展開しました。そして78年1月23日、ニューヨークMSGのリングに出場。カルロス・ホセ・エストラーダのWWWFジュニア・ヘビー級王座に挑戦。

この日は当初、藤波はトニー・ガレアと復活の同王座決定戦を行うと発表されていましたが、3日前の1月20日、ニューヨーク州ユニオンディールのナッソー・コロシアムでエストラーダとガレアが王座決定戦を行いエストラーダが勝って新王者となっていました。(実際にはこの王座決定戦も行われていない可能性大)

11分31秒、藤波がフルネルソンから投げてブリッジして固めるそれまで見たことがなかった新兵器、ドラゴン・スープレックスホールド(飛龍原爆固め)でエストラーダを破り王座を獲得。3月には凱旋帰国を果たしドラゴンブームを巻き起こします。

この週はIシークvsホーガンとエストラーダvs藤波の2つが最後まで予想の候補として残り、Iシークvsホーガンにして外しました。こちらを推したのは試合からちょうど35年ということと、藤波のWWE殿堂入りが15年の話で、話題としてはピークを過ぎていたと判断したからでしたが裏目に出て、勝てる試合を落としたようなもので非常に悔しかったです。

※対戦成績は69戦16勝53敗。
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