84年12月12日世界最強タッグ決定リーグ戦最終戦、横浜文化体育館大会。長州力&アニマル浜口&谷津嘉章組vs石川敬士&グレート小鹿&大熊元司組の前の試合にはダイナマイト・キッド&デービーボーイ・スミス組が出場。
渕正伸&川田利明組とのカードが組まれ、10分28秒、スミスが川田をオクラホマ・スタンビートからの体固めで降しキッド&スミス組の勝利。
ジャパンプロレス、維新軍の小林邦昭&寺西勇組も全日本マット初参戦(寺西は国際プロレス時代に何度か参戦経験あり)。国際血盟軍の剛竜馬&菅原伸義組と対戦。10分56秒、小林が菅原をフィッシャーマンズ・スープレックスホールドでフォールしています。
維新軍の参戦でリーグ戦参加外国人メンバーがカードにあぶれたか?ワンマン・ギャング、マイク・ショーがそれぞれ第1、第2試合に出場。ギャングはターザン後藤を4分28秒、ボディプレスからの体固めで破り、ショーは百田義浩を6分57秒、同じくボディプレスからの体固めで降しました。
キッド&スミス組が直前でドタキャンした新日本プロレスの第5回MSGタッグ・リーグ戦は、ワイルド・サモアンと組んでエントリーしていたハルク・ホーガンが11月16日、川崎市体育館での開幕戦で行われた猪木&藤波組vsホーガン&サモアン組の公式戦で場外で猪木の延髄斬りを食らい、額から一筋の鮮血が流れました。
試合は9分18秒、藤波がサモアンを回転エビ固めでフォールしていますが、ホーガンは頭部の負傷を理由に、1試合行ったのみで残りのリーグ戦を棄権して、途中帰国してしまいました。
いわゆる通常の「カット」による流血でアメリカに帰国しなければならないような重傷とは到底思えず。おそらく当初から1試合のみの契約ではなかったかと思われます。
そんなことからリーグ戦は盛り上がりに欠ける展開となりましたが、12月5日、大阪府立体育会館での優勝決定戦は猪木&藤波組vsディック・マードック&アドリアン・アドニス組の対戦となり33分31秒、猪木が卍固めでアドニスをギブアップさせ、猪木&藤波組が初優勝。大量離脱で激動の1年となった新日本プロレスでしたが有終の美を飾った訳です。
全日本プロレスと新日本プロレスとの興行戦争は、千葉公園体育館(11月20日新日本プロレス2,700人、12月3日全日本プロレス3,300人)、愛知県体育館(11月30日新日本プロレス11,500人超満員、12月8日全日本プロレス9,000人超満員)、岡山武道館(12月3日新日本プロレス2,700人、12月10日全日本プロレス2,800人)、大阪府立体育会館(12月5日新日本プロレス8,900人満員、12月11日全日本プロレス9,000人満員)と、新日本プロレスの興行人気が高い愛知県体育館で新日本が上回った他はほぼ互角でした。
また、この年の鶴田は日本人初のAWA世界ヘビー級王座獲得、師匠馬場も為し得なかった世界王者としての初の北米サーキット敢行が評価され、東スポプロレス大賞MVPを受賞。私生活では荒牧保子さんとの結婚があり、公私共に充実の一年となりました。
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