阿修羅・原は84年10月18日、高砂市鹿嶋神社大駐車場特設リング大会でザ・グレート・カブキと組み、上田馬之助&バディ・ロバーツ組と対戦。
試合は10分6秒、反則勝ちに終わっていますが高砂大会で腰を痛めたとして10月20日の下関市体育館大会を欠場。実際はこれは表向きの理由で自身がプロモートする(全日本プロレスから興行を買う)大会が22日、原の故郷である長崎国際体育館で開催されることから、その「前乗り」として長崎入りする為の欠場のはずでした。
しかし原は長崎には行っておらず失踪。22日に長崎国際体育館で行われる全日本プロレスの興行は事前に何も宣伝活動が行われていなかったことが当日発覚してしまいました。
興行を開催する場合は3か月程前から現地に先乗りしてチケットの販売場所の確保。ポスター貼りや宣伝カーの手配、チラシ配布などのプロモーション活動を開始。巡業に帯同しているレスラーがプロモートする場合はシリーズ中は自分が動けないところからオフに出向いて行って地元の後援者に任せることが殆んどでした。
全日本プロレスは新日本プロレスのように年俸制ではなく、1試合いくらのファイトマネーの形式を取っておりそれを月給制にして支払っておりました。ファイトマネーの査定は全て馬場の裁量(元子が介入していたことは容易に想像出来る)で行われており、新日本プロレスに比べると処遇は低いとされて来ました。
その分、選手が会社から興行を買い、主催することで生活費を補填していた訳です。
北海道では函館出身のグレート小鹿と江別出身のサムソン・クツワダがよく北海道の興行を買って、観客動員でお互いに競っていたものでした。
前売券が出回っておらず、現地入りし何も宣伝活動が行われていない状態を見た馬場は唖然としたそうですが、そこは泰然自若で知られる御大、日本テレビによる収録が予定されていた大会であったこと。かつ九州スポーツ紙、週刊プロレス、週刊ゴング、週刊ファイト、週刊ビッグレスラー等媒体を見て駆けつけたファンもいたことから大会中止とはせず、予定通り開催することを決定しました。
原は私生活における借金問題から88年11月に全日本プロレスを解雇されていますが、浪費癖があり金銭にはルーズな原は闇金と言われる無登録貸金業者からの借入も相当あったと言われ、貸金業者の後ろには反社会的勢力がいたことから、この時の失踪も金銭問題が理由だったと思われます。
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