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2019年04月08日14:23

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ジャンボ鶴田怪物伝説(484)

さて、前83年8月31日、蔵前国技館で引退試合を行ったテリー・ファンクですが、その後は同年11月の世界最強タッグ決定リーグ戦に馬場&ドリー・ファンク・ジュニア組のマネージャーとして来日。

この84年は2月23日の蔵前国技館、同26日の大阪府立体育会館で行われたニック・ボックウィンクルvs鶴田のAWA世界ヘビー級、インターナショナル・ヘビー級ダブルタイトルマッチの特別レフェリーで来日、4月のグランド・チャンピオン・カーニバルPART�気砲眷肋譟�ドリー組のマネージャーとして来日しました。

引退後4度目の来日となりました今シリーズですが、開幕戦の8月23日、後楽園ホール、8月26日、田園コロシアムとドリー&鶴田組、馬場&ドリー組のマネージャーとしてスタン・ハンセン&ブルーザー・ブロディ組との試合に味方のピンチを救うべく試合に介入しましたが、逆にハンセン&ブロディ組に袋叩きに遭ってしまいました。

田園コロシアム大会の試合後、テリーはマスコミに対し、「もし日本のファンと家族が許してくれるならハンセン、ブロディに対し復讐したい」と復帰を示唆する発言をし、ドリーと共に8月28日の酒田市営体育館大会を最後にアメリカに帰国しています。

しかし、このテリーの発言は日本のプロレスファンを大いに困惑させてしまうことになります。

80年10月、ジャイアント・シリーズに来日した際、「もう左膝が限界に来ている。3年後の自分の39歳の誕生日である6月30日(テリーは44年6月30日、インディアナ州ハモンド出身)に日本で引退試合を行いたい」と引退宣言。

アブドーラ・ザ・ブッチャー、ザ・シークにフォークや凶器でやられた左膝が限界に達しており、手術の際に出血多量となり体重が200ポンド(約90kg前後)に落ちてしまったという報道も一部ではありました。

その間、ブッチャーが新日本プロレスに移籍、ザ・ファンクスの抗争相手はブッチャー、シークからハンセン&ブロディ組の超獣コンビへと変わりました。

そして83年、3〜4月のグランド・チャンピオン・カーニバルPART�機■掘腺厳遒瞭隠丕腺劭圻靴裡殴轡蝓璽困丱謄蝓爾琉�退ツアーとして行われ、8月31日、蔵前国技館でテリーは兄ドリーとのザ・ファンクスとしてハンセン&テリー・ゴディ組と引退試合を行い、12分35秒、テリーがコーナーポスト最上段からのダイビング・ローリングクラッチホールドでゴディをフォール。引退試合を勝利で飾り、引退セレモニーでは多くのファンを感動させています、

それから僅か1年での復帰は道義的にはやはり「なし」というのが当時のファンの大多数の意見でした。

さらにテリーからは帰国後の9月5日、馬場に連絡を入れ、「ハンセン、ブロディを倒す為にトレーニングを開始した」と語り復帰に向けて早くも意欲満々となっていました。
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