84年グランド・チャンピオン・カーニバルPART�沓祁�31日、蔵前国技館大会は3大タイトルマッチが行われています。
メインイベントは馬場がまさに進退を賭けてスタン・ハンセンのPWFヘビー級王座に挑んだ一戦。馬場は前83年9月8日、千葉公園体育館で10分足らずの9分2秒、ハンセンのショートレンジからのラリアットからの体固めに敗れベルトを奪われました。
10月31日、福島県会津体育館でのリターンマッチは9分43秒、両者反則でハンセンに逃げられ、ベルトは海外流失。明けて84年3月24日、蔵前国技館での2度目のリターンマッチはラリアット封じとばかりハンセンの左腕を攻めて試合を優勢に運びましたがエキサイトして反則負けとなりました。
この後4月に行われた新設PWF世界タッグ王座決定リーグ戦で馬場はドリー・ファンク・ジュニアと組んで出場したものの、リーグ戦最終日となった4月25日、横浜文化体育館でのハンセン&ブルーザー・ブロディ組がとの公式戦ではツープラトンのハイジャック式パイルドライバーを食らって首を負傷、戦闘不能状態となりました。孤立したドリーが16分19秒、ブロディにフォールを奪われて敗退。馬場は首の負傷から翌4月26日、大宮スケートセンター大会を欠場。デビュー以来の国内試合連続出場記録は3,711でストップしました。
この負傷が原因で鶴田との師弟コンビで通算9年3か月保持していたインターナショナル・タッグ王座を返上。全日本プロレスの旗揚げ当初以来の「完全無冠」となってしまいました。ここでハンセンに負ければ引退をも辞さないまさに背水の陣での挑戦。
試合はハンセンが優勢に試合を進め観客からは「大ババ・コール」が発生、ハンセンは首投げから馬場の首筋にエルボーバット、スリーパーと攻めていきます。ハンセンは馬場にボディスラム狙い、しかしハンセンの動きを冷静に読んでいた馬場は何とスモールパッケージホールド。
さすがのハンセンも面食らったか馬場の長い足を絡められての丸め込みは返すことが出来ず、10分7秒、首固めで馬場の勝利。10か月ぶりにPWFヘビー級王座奪回に成功、第10代王者となりました。観客は46歳となっていた馬場の戴冠に大喜びでした。このフィニッシュは「ジャイアントパッケージホールド」と呼ばれ、昭和プロレスの名シーンとなっております。
ログインしてコメントを確認・投稿する