スタン・ハンセンとブルーザー・ブロディのツープラトンのハイジャック式パイルドライバーで頚椎を痛め、無念の欠場となった馬場は、
「あの技は危険だ。NWAとPWFに言って使用禁止にしてやる」と怒りをあらわにしていましたが、後に87年11月19日、新日本プロレス後楽園ホールでの前田日明による長州力の顔面蹴撃事件に関しては、猪木が前田に対し「プロレス道にもとる」と非難したのに対し、馬場は「要するにリングの上では何をやってもいいんだよ」と当時全日本プロレスのリングで激闘を展開していた天龍と輪島大士の対戦になぞらえ、キラー的発言をしています。
自分がやられた時は使用禁止、他所のリングの出来事は「他人事」のように寛容な発言をしています。
さて、馬場欠場となった84年グランド・チャンピオン・カーニバルPART�戯能�戦となった4月26日、大宮スケートセンター(テレビ収録、観衆3,100人満員発表)大会、UWFの旗揚げ戦から2週間での興行開催となりました。
メインイベントは鶴田のAWA世界ヘビー級王座にジム・ブランゼルが挑戦。3月15日のユタ州ソルトレイクシティ・ソルトパレスで鶴田のAWAに一度挑戦しているブランゼルでしたが、やはり実力の差はどうしようもありませんでした。
ドリルアホール・パイルドライバー狙いに来たブランゼルをリバース・スープレックスで切り返した鶴田がそのままカバーに入り、14分40秒、体固めでフォール勝ち。ブランゼルを返り討ちにし7度目の防衛に成功。
この日がシリーズ最終戦の為、シリーズ終了後AWA世界ヘビー級王者として2度目の北米サーキットを行うことが決定しています。
セミファイナルはドリー・ファンク・ジュニアとハンセンのシングルマッチ。(ノンタイトル60分1本勝負、ハンセンのPWFヘビー級王座は賭けられず)
ドリーがハンセンにスピニング・トーホールド。そこへセミ前の試合が終わったブロディが乱入、スピニング・トーホールドを仕掛けているドリーに対し、コーナーポスト最上段からダイビングしてのブレーンチョップ。
これだけ堂々と反則をやられてはレフェリーも反則をも取らざるを得なく、16分10秒、ドリーの反則勝ちとなりました。
この日ブロディは珍しい鶴見五郎とのタッグで天龍、石川敬士組と対戦。8分59秒、ブロディがフライング・ボディプレスからの体固めで石川をフォール。キングコング・ニードロップを出すまでもない完勝に終わっています。
後半戦特別参加のケリー・フォン・エリックは最終戦であるこの日もボブ・ブラウンをも7分21秒、タイガークローからの体固めで降して無敗で帰国しましたが、馬場、ドリーとタッグを組んだ以外は連日中堅どころとのシングルマッチばかりで全てタイガークローからのフォール勝ちでした。
この時のケリーはほとんど印象に残っていません。馬場のプロモーターとしての手腕から見れば大変勿体ない使い方をした感じですが、シリーズ終了後、帰国してすぐの5月6日、テキサス州ダラスのテキサス・スタジアムで行われるデビッド・フォン・エリック追悼興行でデビッドの弔い合戦とばかり、リック・フレアーのNWA世界ヘビー級王座に挑戦が決定しており、ハンセン、ブロディらと当てて負傷しないように馬場が配慮したかと考えられます。
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