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2018年10月21日10:01

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ジャンボ鶴田怪物伝説(381)

猪木、馬場が抜け観客の減少、テレビ視聴率の低下に歯止めがかからない日本プロレスと、馬場の全日本プロレスより7か月半先の72年3月6日、大田区体育館で旗揚げ興行を開催していたものの、テレビ放送がつかず不入りが続いていた猪木の新日本プロレス。

窮状を見かねたのがNETの三浦甲子二専務。三浦専務は猪木と坂口を呼び出し「もう、お前達、一緒にやれ!」と日本プロレスと新日本プロレスの合併案を指示。

日本プロレス側の交渉にあたったのは坂口で、猪木の新日本プロレスを発展的解消とし、日本プロレスを存続会社として合併。芳の里日本プロレス社長は勇退し、猪木が社長、坂口が副社長になることで両団体が合意。

73年2月8日、新宿の京王プラザホテルにおいて猪木と坂口が記者会見を行い、4月には新会社としての体制がスタートする。社名は「日本プロレス」が有力と発表。

スーツ姿の猪木と坂口が京王プラザホテルの外の国旗が並んでいる前でポーズ写真を撮っているものがよくプロレス歴史物の本に掲載されていますが、後からその写真を見た方は「坂口が猪木の新日本プロレスに合流が決まった時の写真だな」と思われる方も多いかと思いますが実はそうではなく、日本プロレスと新日本プロレスの合併案成立の時の写真なのであります。

しかし、2月16日、後楽園ホールでの日本プロレス「ダイナミック・ビッグ・シリーズ」開幕戦の試合前にシリーズオフに韓国に帰っていた大木金太郎が「俺は何も聞かされていない。育ててくれた日プロを売るような真似は出来ない」と強硬に反対し合併案は白紙になりました。

猪木、坂口体制になれば、自分は3番手。ようやく掴んだ師匠力道山ゆかりのインターナショナル王座のベルトも猪木の手に渡ることは容易に想像が付きます。

坂口は小沢正志(キラー・カーン)、木村聖裔(健吾、健悟)、大城勤(大五郎)、田中米太郎レフェリーを連れて日本プロレスを離脱、新日本プロレスへの移籍を決意。

坂口は2月22日、大阪府立体育会館で大木と組んで保持していたインターナショナル・タッグ王座をジョニー・バレンタイン、キラー・カール・クラップ組に敗れてベルトを失いました。

3月2日、横浜文化体育館で坂口のUN王座にバレンタインが挑戦しバレンタインが勝ってベルト移動。

さらには坂口のアジア・タッグ王座におけるパートナー、吉村道明が体力の限界を理由に引退を表明しており、王座返上を表明。3月3日、吉村の母校である大阪・近畿大学記念講堂で引退試合を行い(ルーベン・ファーレスに16分14秒、回転エビ固めで勝利)、46歳で引退。

この日グレート小鹿、松岡厳鉄組がクラップ、クルト・フォン・スタイガー組を王座決定戦で破り吉村が返上したアジア・タッグ王座を獲得しています。

3月6日、愛知県体育館では大木、上田馬之助組がバレンタイン、クラップ組を撃破しインターナショナル・タッグ王座を獲得。

3月8日、佐野市民会館で高千穂明久(ザ・グレート・カブキ)が猪木のライバルであったバレンタインのUN王座に挑戦。1本目両者リングアウト、2本目はバレンタインが場外で高千穂を机の上に寝かせてエルボードロップを見舞おうとしたところ、高千穂がこれを交わしてバレンタインの肘は机を直撃。その間高千穂がリングに上がってのリングアウト勝ち、とフォールは取れませんでしたが、高千穂が大金星でUN王者となりました。

坂口も猪木同様、1シリーズで3本のベルトを全部剥ぎ取られて新日本プロレスヘ移籍することになる訳です。

もしこの時、猪木、坂口体制で日本プロレスと新日本プロレスが合併していたら、猪木がインターナショナル王者、猪木、坂口組がインターナショナル・タッグ王者、坂口がそのままUN王者でいた可能性は高く、NWA系の大物外国人選手達も馬場の「独占」とはならなかったと思われ、日本プロレス界の歴史は大きく変わっていたと言えます。

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