初来日のアカプルコの青い翼、リスマルクはEMLL(現CMLL)からの参戦。当時の全日本プロレスはジュニア・ヘビー級の人材がまだ不足しており、このタイミングでの単独での来日は意外なイメージを受けましたが、テクニコ(善玉)のマスクマンとして期待が大きかった節はあります。
放浪の殺し屋、ジプシー・ジョーは前83年7月のグランド・チャンピオン・カーニバルPART�薫瞥菷焦�ぶりの来日。
カナダの新星ケリー・キニスキーはあのカナダの荒法師、元NWA世界ヘビー級王者、ジン・キニスキーの長男であり82年1月の新春ジャイアント・シリーズに初来日。弟のニック・キニスキーはこれから2年後の86年2月に新日本プロレスに来日していますが、馬場と父ジンとの関係からこの時は全日本プロレスへの再来日の流れが自然の成り行きだったかと考えます。
他に外国人ヒールサイドとして前83年世界最強タッグ決定リーグ戦から連続参戦の上田馬之助、鶴見五郎がシリーズ全戦参加。
また、日本陣営は国際プロレス崩壊後、一度は81年10月8日、蔵前国技館での新日本プロレスと国際プロレスの全面対抗戦でタイガーマスクとのシングルマッチが一度は発表されましたがキャンセルして、古巣のメキシコに戻っていたマッハ隼人が全日本初登場。
鶴見五郎の口利きで全日本参加が決まりました。鶴見は、79年11月、国際プロレスのデビリッシュ・ファイト・シリーズにアレナメヒコのルチャリブレスクールでルチャを学び、日本初の逆上陸ルチャドールとなったマッハに声をかけて呼んでおり、そのまま国際に入団した経緯があり、今回も旧知のマッハを馬場に紹介したものでした。
3年に亘るアメリカ修行から帰国した「龍の忍者」マジック・ドラゴンこと園田一治が凱旋帰国、Mドラゴンはテキサス州ダラスでザ・グレート・カブキと共にオリエンタルコンビを結成、ヒールとして活躍しておりましたが、今回は日本陣営からの参加。
前83年世界最強タッグ決定リーグ戦の終盤戦に特別参加し、12月12日、蔵前国技館ではリック・フレアーのNWA世界ヘビー級王座に挑戦したカブキが連続参戦となりました。
開幕戦の1月2日、後楽園ホール(観衆3,400人超満員発表)のメインイベントは恒例の100万円争奪ヘビー級バトルロイヤル。
決勝は鶴田とスティーブ・オルソノスキーの顔合わせとなり、11分52秒、ドロップキックからの片エビ固めで鶴田が優勝を飾りました。
セミファイナルでは馬場、鶴田、天龍組の最強トリオが登場、上田、ジョー、鶴見組と対戦、12分21秒、天龍が延髄斬りからジョーを片エビ固め。
カブキは初来日のKキニスキーとシングルで対戦、9分28秒、トラースキック一発で体固めで快勝。
阿修羅・原とスティーブ・オルソノスキーが前回書いた国際プロレスの81年4月18日、後楽園ホールでのシングルマッチ以来のシングルでの一騎討ち。
インターナショナル・ヘビー級王座挑戦を控えるオルソノスキーが8分36秒、ダイビング・エルボードロップからの片エビ固めで快勝し、国際時代のリベンジを果たしています。
リスマルクの来日1戦はウルトラセブンとの対戦、8分18秒、ゴリースペシャル(ゴリー式背骨折り)でギブアップ勝ち。
Mドラゴンは越中詩郎を9分7秒、トラースキックからの体固めで撃破しています。
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