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2018年05月28日08:07

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ファンタジープロレスの巨匠桜井康雄さん追悼(359)

新日本プロレス85年バーニングスピリット・イン・サマーも折り返し地点に突入。7月19日、札幌中島体育センター(テレビ生中継、観衆4630人発表)では藤波はスーパー・ストロング・マシンの挑戦を受け、WWFインターナショナル・ヘビー級王座の防衛戦を行っています。

試合はSSマシンが互角以上に藤波と闘いましたが、裏切り者であるSSマシンを叩くべく、マシン2、3号、マシン軍団のマネージャー、ショーグン・KYワカマツが試合に介入、16分38秒、ノーコンテストとなりました。

防衛不成立となった藤波はいつものくせでもある「ベルト返上」を申し入れ、一応タイトルは日本プロレスリング・コミッショナー預かりとなっています。

また、ヒロ斉藤のWWFジュニア・ヘビー級王座にはブラック・タイガーが挑戦。初代タイガーマスクの「引退」により精彩を失ったBタイガーでしたが、この日も12分23秒、H斉藤のジャーマン・スープレックスホールドに完敗を喫しました。H斉藤は3度目のタイトル防衛に成功。

この日の札幌大会に全日本プロレスに所属していた越中詩郎が姿を現し、新日本プロレスへの参加を表明しています。

越中は79年3月5日、全日本プロレス、館山市民センターでの園田一治戦でデビュー。ノンキャリア入門組の練習生出身では75年1月デビューの園田以来の新人でした。

身体が細く目の出ない日々が続きましたが、83年4月に開催されたルー・テーズ杯争奪リーグ戦に優勝、84年3月に準優勝だった三沢光晴と一緒にメキシコEMLL(現CMLL)に修行に出ました。

越中はサムライ・シロー、三沢はカミカゼ・ミサワのリングネームでルードとして活躍しましたが、三沢は同年7月に2代目タイガーマスクになる為に馬場から帰国命令が出て僅か4か月で帰国、その後は2代目タイガーマスクとして全日本プロレスのジュニア・ヘビー級のエースのポストを担っています。

3年後輩の三沢に先に日本に帰られ、出世争いに負けた越中は単独でメキシコで活躍していましたが、長州以下ジャパンプロレス勢の大量離脱で選手層が手薄になった新日本プロレスの坂口副社長が越中に連絡を入れてコンタクト、越中の気持ちは新日本プロレスに傾き、85年1月31日付で越中は全日本プロレスに辞表をメキシコから送りつけています。

ですが馬場はこれを無視。越中と坂口は4月にもロサンゼルスで合っており、越中は強行突破することにしたのです。

坂口は越中以外にもプエルトリコで試合をしていたキング・トンガ(プリンス・トンガ、キング・ハク)、アメリカで活躍中のケンドー・ナガサキ(桜田一男)らどちらかというと「外様」のポジションにいた選手に声をかけていました。

85年7月に越中は1年4か月ぶりに日本へ帰国。先ずは「馬場さんに挨拶に行こう」と7月12日、八戸市体育館の全日本プロレスの興行を訪れ、控室で改めて退団の申出。馬場は越中の目も見ずに「今から今のチャンピオン(NWAインターナショナル・ジュニア・ヘビー級)の小林(邦昭)の試合に乱入して来い、俺に挑戦させろと言ってこい」と言ったそうです。

勿論、馬場の指示に従えば全日本プロレスに残留することを意味し、新日本プロレスへは行けなくなります。

越中はこれを断りました。馬場と越中のやり取りを見ていた天龍が越中の話を聞こうとしない馬場に苦言を呈し、越中に控室から出るように告げ、「これを使え」と越中にお金を渡した、というのはよく知られたエピソードです。

それから1週間後の19日、ついに越中が新日本プロレスの会場に現れた訳です。

札幌大会のメインイベントは猪木、坂口組にブルーザー・ブロディ、キングコング・バンディ組のキングコングコンビとの対戦。10分15秒、キングコング・ニードロップからの体固めでブロディが坂口からフォールを奪いました。


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