全日本プロレスのジュニア・ヘビー級戦線も大きく変化してきました。85年6月8日、高松市民文化センターでダイナマイト・キッドがマイティ井上を11分47秒、逆さ押さえ込みで破り、かつての新日本プロレスジュニア時代のライバルである藤波、木村健吾が保持していたNWAインターナショナル・ジュニア・ヘビー級王座を獲得。
5〜6月初旬の高松市民文化センターと言えば、新日本プロレスが74年以来、ワールド・リーグ戦、MSGシリーズ、IWGP等テレビ生中継の行われる大会を開催、新日ファンにはお馴染みでしたが、高松、岡山を地盤とする瀬戸内プロ企画の代表は大塚直樹ジャパンプロレス社長と懇意であり、全日本プロレスに鞍替えしました。
シリーズ最終戦、6月13日、古河市立体育館では小林邦昭がDキッドのNWAインターナショナル・ジュニア・ヘビー級王座に挑み、9分56秒、反則勝ちで小林邦がPWFルールにより王座獲得。初めて全日本の至宝タイトルがジャパン軍に移りました。
この日昼間に埼玉県浦和市(さいたま市浦和区)の斎場で6月10日に55歳の若さで帰らぬ人となった元国際プロレス代表の吉原功の告別式が行われ、全日本プロレスのリングに上がっていたラッシャー木村ら元国際所属の選手も参列。
国際プロレス最後のエースであったR木村は弔辞を読み上げ、6月21日、日本武道館で馬場のPWFヘビー級王座に挑戦が決まっていたことから、「必ず馬場を倒してみせます。社長、見ていて下さい」と決意を言葉にしました。
その6月21日は日本武道館で、全日本、ジャパン業務提携1周年記念興行として、両団体に国際血盟軍を加えた日本人選手のみのワンナイト興行、「スペシャル・ウォーズIN武道館」を開催、12600人(満員)発表の観客を動員しています。
全日本プロレスの主催興行での日本武道館進出は77年5月14日、第5回チャンピオン・カーニバル優勝決定戦以来8年ぶり。
メインイベントでは馬場のPWFヘビー級王座にR木村が挑戦。吉原氏への追悼の思いから、黒のヘアバンドを頭につけ、鶴見五郎、剛竜馬、高杉正彦、菅原伸義らがセコンドで入場。
しかし馬場は終始余裕を持って試合を展開、12分34秒、ランニング・ネックブリーカードロップから体固めで3度目の防衛に成功。馬場がフォールの体勢に行った時にR木村は左足をサードロープにかけていました。鶴見がレフェリーに抗議しましたが判定は覆らず。
この日はトリプル・メインイベントでトリプル第2試合は長州が天龍のUNヘビー級王座に挑戦する予定でした。
ですが長州は試合前に天龍のベルトを「こんなモノは要らない」とばかりリングに叩きつけて挑戦を拒否。ジャパンのエースである長州が全日本第3の男、天龍のベルトに挑むのはプライドが許さなかったのでしょう。
試合は急遽、ノンタイトル戦となり天龍も怒りをあらわにして荒れた展開に。19分2秒、レフェリーの静止を振り切って天龍を攻撃した長州が反則負けを取られています。
トリプルメイン第1試合は鶴田、石川敬士組が谷津嘉章、アニマル浜口組にリングアウト勝ち。
新NWAインターナショナル・ジュニア・ヘビー級王者となった小林邦にはタイガーマスクが挑戦。膝を痛めていたタイガーマスクは本領発揮とはいかず、11分29秒、小林邦がフィッシャーマンズ・スープレックスホールド(編み打ち式原爆固め)で勝利。王座初防衛を果たしました。
この日の大会は翌日の6月22日、日本テレビの土曜トップスペシャルで90分枠で録画中継されました。
6月27日、東京・池尻大橋のジャパンプロレス事務所で記者会見が行われ、長州が大塚に代わってジャパンプロレスの代表取締役に就任したことを発表。ジャパンプロレスも同地に道場、合宿所をオープンさせています。(スポンサーである竹田勝志会長の所有物件)
ログインしてコメントを確認・投稿する