85年4月18日、新日本プロレス両国国技館初進出となった大会は11066人(超満員)発表の観客を動員しています。
メインイベントは猪木vsブルーザー・ブロディ、運命の初対決。
この3日前の4月15日、新日本プロレスは急遽後楽園ホールを借りて猪木とブロディの公開スパーリングを全席2000円の有料で開催しており、並々ならぬ力の入れようでした。
国技館側は前84年6月14日、IWGP優勝決定戦での観客の暴動事件から新国技館に傷をつけてはならないと新日本プロレスに申し出、新日本はブロディがチェーンを入場時に振り回して来る際に通路にチェーンがぶつかり損傷をしてしまうことを危惧し、ブロディに入場時のチェーン持込禁止を通達しました。
これに対しブロディが激怒、試合前に猪木の控室(支度部屋)に物凄い勢いで走って行きチェーンで猪木の右肘を何回も殴打。
この模様はテレビ朝日のカメラが追跡して撮影していますが不意をつかれた猪木は控室でダウン。
両選手の入場となり、先にブロディが入場。ブロディの入場テーマ曲はベートーベンの運命を前奏にレッド・ツェッペリン版の移民の歌。
ブロディは全日本プロレスの時には着用してなかった毛皮のコスチュームを上半身に着てチェーンを振り回して入場。
次いで猪木の炎のファイターが流されましたが、ブロディの奇襲のおかげでなかなか姿を現さず、ファンが心配する中、ようやくテーマ曲の終盤で入場してきました。猪木の右肘には白いサポーターがありました。
試合はブロディが力で押しぎみに試合を進めましたが、猪木もバックドロップ、延髄斬りで反撃。ブロディの膝にアリキックを連発したところ、ブロディの左膝が切れて流血。
猪木のフライング・ボディシザースドロップはブロディが倒れず失敗、ブロディもジャイアント・スイングを見せましたが膝のダメージから回転が不十分であり足がもつれて上手く決まらず。
両者場外戦となり、猪木は場外フェンスにブロディの膝を固定させておいてストンピングの嵐。その間カウントは進行し26分20秒、両者リングアウトの引き分けとなりました。
試合内容自体は悪くはありませんでしたが互いに信頼関係のなさを感じながら試合をしている印象が強く、噛み合ってはいない印象を受けました。
後に猪木信者として知られるフラメンコ演者の板坂剛が「世紀末文化考」(麓砦社、エスエル出版会)の著者の中で、ブロディの膝からの流血は、自身が剃刀で切ったことによる「不正出血」であると糾弾し物議を醸しました。
セミファイナルは藤波とストロング・マシン1号がシングルで対戦。マシン1号はクリーンなファイトに徹し好試合となりましたが、マシン1号のセコンドであるショーグン・KYワカマツが加勢してエプロンから藤波にパウダー攻撃。
ところが藤波がこれをかわしてパウダーはマシン1号を直撃。ただでさえ視界の悪いマシンマスクにパウダーを浴びたマシンは目が見えなくなり、藤波はバックに回ってフルネルソンからドラゴン・スープレックスホールドを決めてフォール勝ち。
マシン1号とワカマツの間に亀裂が生じ仲間割れとなりました。
先のビッグ・ファイト・シリーズ第1弾から継続して行われたヤングライオン杯争奪リーグ戦はこの日が決勝。
小杉俊二、後藤達俊、山田恵一の3人が並びましたが後藤達が負傷し棄権。先輩小杉が山田を降して優勝しています。
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