全日本プロレスのシリーズ最終戦の試合を途中放棄して控室に帰ってしまったブルーザー・ブロディ。
85年3月19日放送のテレビ朝日「ニュースステーション」の中で「世界最強のプロレスラー、ブルーザー・ブロディ選手の新日本プロレス参戦が決定しました」と発表されてプロレスファンのみならず、世間にも驚きを与えました。報道番組でプロレスの移籍の話題が取り上げられたのは大変珍しい事象でした。
ブロディが現れるのでは?という期待でビッグ・ファイト・シリーズ第1弾最終戦、3月21日の後楽園ホールは超満員2,515人発表の観客が詰めかけています。
この日のメインイベントは猪木vsハックソー・ヒギンスの再戦でしたが、メイン開始前に突如、ホール南側最後方の立見スペースに片手に花束、片手に守護神のチェーンを持ったブロディがスポットライトを浴びて出現。
この日、私は偶然にも南側最後列のR列の指定席に座っており、振り返った目の前にブロディの姿を見ることが出来ました。
ブロディはベートーベンの「運命」の曲にのり、リングに上がって猪木と対峙し早くもにらみ合い。
扱いが別格なのか、乱闘はせずにブロディはリングを去りました。
ブロディ登場に完全に食われたか、この日のヒギンスは開幕戦で猪木を一方的に痛め付けた破壊力は陰を潜め、僅か3分27秒、猪木の羽折り式腕固めにあっさりギブアップ負けしています。
新日本プロレスでは、全日本プロレスに遅れること1か月ちょっとで4月18日、両国国技館での興行初開催を発表していましたが、メインは猪木vsブロディのシングルマッチに決まりました。
気分屋のブロディのことなので、実際に来てみないと何とも言えない部分も多々あり、当初新日本プロレスではブロディが駄目であれば猪木vs藤波の師弟対決を考えていたとのことでした。
ブロディの新日本プロレス移籍に伴い、約3年間全日本プロレスのリングを席巻していたスタン・ハンセン、ブロディの超獣コンビ(ミラクルパワーコンビ)は解体された訳です。
ブロディは全日本プロレスのリングに長州以下ジャパン軍が来襲したり、国技館のメインをロード・ウォリアーズが取ったりしたことに対する不満により新日本へ移った、というのが定説になっていましたが、実際には新日本プロレスからのコンタクトは前年暮れから行われていました。
ブロディは確かに身体の小さな選手を小馬鹿にしたり、自分がメインを張らないと満足しなかった部分はありますが、「弱体化したテリトリーに自分が参戦することでそこの会場をフルハウスにして見せること」をプロレスラーとしての最大の矜持にしていたのが移籍の最大の要因かと思われます。
ブロディはビンス・マクマホンからも誘われていたらしいですが、ハルク・ホーガンの引き立て役で全米を回ることは嫌いました。
また3月3日、北茨城市民体育館で84年4月入門組の最後となる15歳11か月の最年少となる船木優治(誠勝)がデビュー。デビュー戦がいきなりヤングライオン杯公式戦で後藤達俊に敗れています。
3月29日、藤岡市民体育館からビッグ・ファイト・シリーズ第2弾が開幕。ディック・マードック、アドリアン・アドニス、バッドニュース・アレンらお馴染みのメンバーに加え、吉原功、大剛鉄之助ラインからビリー・ジャック(ヘインズ)が初来日。団体崩壊前の81年4月に国際プロレスに来日しているマイク・ミラーも参戦しています。
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