謎の怪覆面ストロング・マシンは84年9月7日、福岡スポーツセンター、テレビ生中継のメインイベントで猪木とのシングルマッチでデビューしました。
猪木がマシンを卍固めに捕えたところ、マシンのマネージャーであるショーグン・KYワカマツが乱入してノーコンテストに終わっています。この試合、マシンのセコンドに同じデザインのマスクを着けたマスクマンが現れ、マシン軍団として「増殖」していくことになります。マシン1&2号でシリーズ後半から試合に出場しますが2号はヘビー級の巨体にも関わらず、トップロープ越えのノータッチ・トペコンヒーロを披露して観客を驚かせました。
同じ9月7日、UWFが後楽園ホール大会を開催。スーパー・タイガーと藤原喜明による実力No1決定戦が行われ、Sタイガーが変形裸絞め(チキンウィング・フェイスロック)で藤原からギブアップ勝ち。
新日本プロレス道場の伝統とも言える藤原の関節技の攻防とSタイガーの激しいキックの応酬で観客を沸かせました。
9月11日にもUWFは後楽園ホール大会を行い、今度は前田日明とSタイガーが実力No1決定戦で対戦。Sタイガーが同じく変形裸絞めで前田を降しています。
この日、尿管結石の為に新日本プロレスのブラディ・ファイト・シリーズを欠場、川崎市の日本鋼管病院に入院していた木戸修がリング上に姿を現し、UWFへの入団を発表しました。
木戸は日本プロレス時代から、カール・ゴッチ教室の優等生であり、ゴッチからは「マイサン」(私の息子)と可愛がられていました。木戸は「引き抜きとか面倒な話ではなく、ゴッチさんに声をかけられたので来ました」とUWF移籍について語っています。
新日本プロレス旗揚げメンバーであり新日本プロレスの強さの中核を為していた木戸のUWF移籍も新日本にとってダメージは大きかったと思います。
UWFのビクトリー・ウィークスには10年位全日本プロレスのレギュラー外国人だったマーク・ルーインが来日していましたが、最終戦で高田伸彦とシングルで対戦。
高田の腕固めの前にあっさりとギブアップしてしまい衝撃が走りました。ルーインは元WWA世界ヘビー級王者であり、初来日の73年第1回チャンピオン・カーニバルでは優勝決定戦に進出。馬場に2−1で敗れています。
その後もトップか2〜3番手の扱いを受けており、鶴田でさえルーインから完勝出来ておらず、この結果はインパクト大。UWFの実力主義が評価される一方でベテランに花を持たせない残酷なマッチメークを否定的に捕える従来からのファンもおりました。
ブラディ・ファイト・シリーズ中の9月13日、宇部市俵田翁記念体育館の試合前に長州が「そろそろ、正規軍と維新軍の抗争を終結させたい」と発言。新日本プロレス内部も一連の抗争について決着をつける流れになって来ました。
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