79年3月1日、新日本プロレスの提携先であるWWWF(ワールドワイド・レスリング・フェデレーション、世界広域レスリング連盟)がワイドを現すWの1字を削除。
WWF(ワールド・レスリング・フェデレーション、世界レスリング連盟)に改称しました。
また前年死去したウィリー・ギルゼンバーグ会長の後任として、新間寿マネージャーが会長に就任。日本人フロントのWWF会長就任は快挙と言えました。
当時、ローカルテリトリー時代のアメリカマット界はNWA、AWA、WWFが3大メジャーと言われており、私達が読んでいたプロレス入門にもそのように書かれておりました。
全米のプロモーターの寄り合い所帯的なNWAと、実態はバーン・ガニアがオーナーであるAWA、ビンス・マクマホン・シニアがオーナーであるWWFでは組織形態が異なりました。
AWAの運営会社はガニアが経営する「ミネアポリス・レスリング&ボクシングクラブ」であり、WWFの運営会社はビンス・シニアが代表を勤める「キャピタル・レスリング・コーポレーション」。
ガニアは現役レスラーで長くAWA世界ヘビー級王者の座におり、自分で団体を作って自前でベルトを巻いていてはリアリティーに欠ける為、別に会長職を置く必要があり、81年に死去したスタンレー・ブラックバーンが長らく会長を務めておりました。
AWAとミネアポリス・レスリング&ボクシングクラブは別組織であることをあくまでも観客に知らしめる必要があった訳です。
WWFも同様で、ビンス・シニアは背広組のプロモーターでしたからガニアのような問題は起きませんでしたが、やはりキャピタル・レスリング・コーポレーションとWWFは別物という見せ方を観客に対してしていました。
会長は特に権限もなく、認定宣言を読んだり、プロモーターの意向に従ってタイトルの管理をしていたに過ぎません。リング上での物事を決めるのは、全てプロモーターであります。
これは馬場の全日本プロレスにおけるPWF会長のロード・ブレアースと同じで、猪木のNWF(世界)ヘビー級王座についても、75年2月に起きた猪木のタイトル返上劇の際、デビット・ヘルマン(ディック・フェラルドマン)会長が責任を取って辞任ということになっていますが、NWFもオーナーだったのはジョニー・パワーズと東部地区のプロモーター、ペドロ・マルチネスでした。
国際プロレスのIWA世界ヘビー級王座は、王座設立時に吉原社長が提携先であったフランス・パリのプロモーターであるロジャー・デラポルトが会長になっていました。
国際プロレスはAWA、カルガリー、MSWAと提携先を変えていてデラポルトとは切れていたはずですが、デラポルトは団体崩壊まで会長職にありました。
いずれにしても実質的に会長職はお飾りとは言え、新間が会長になったのは日本マット界初の快挙であり、どのように新日本プロレスを有利な状況に導くか、期待は大きかったです。
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