79年1月19日は唐津市体育館からのテレビ生中継。セミファイナルは翌週の1月26日、岡山武道館でジョニー・パワーズのNWF北米ヘビー級王座に挑む坂口がクルト・フォン・ヘスとシングルで対戦しています。
豪快なアトミック・ドロップ、ジャンピング・ニーアタックでヘスを圧倒しましたが、次のメインイベントで猪木との対戦を控えるパワーズが乱入して坂口の反則勝ち。
メインイベントは猪木とバワーズのテレビマッチでは久々のシングル戦。このシリーズは今のところ負けなしのパワーズ。78年は1回も来日がなく、さらに今シリーズテレビ初登場。
前日の1月18日、人吉市体育館でも猪木とパワーズはシングルマッチを行っており、10分2秒に両者リングアウトとなっています。
パワーズとは連闘となった猪木ですが、セミの遺恨を引き摺るヘスが乱入してパワーズに加勢、坂口も控室から出てきて乱闘となり、12分22秒にノーコンテストとなっています。
猪木とパワーズは2連戦して決着つかずでしたが、タイトル挑戦を控える坂口に配慮して敢えて勝ちにはいかなかったものと思われます。
1月21日、国際プロレスの後楽園ホール大会に星野勘太郎、山本小鉄、永源遥の3選手が参戦。
この日は日曜日の昼興行で、私はこの日初の国際プロレス生観戦となりました。
永源は寺西勇とシングルマッチを行い、12分11秒、寺西が回転エビ固めでクイックによる勝利。
ちなみにセミ前では、前78年暮れに半年間に亘るカナダ修行から帰国した原進改め阿修羅・原(作家の野坂昭如氏が名付け親)が参加外国人エースのアレックス・スミルノフとシングルマッチで対戦し反則負けとなっています。
この国際プロレスの新春パイオニア・シリーズは1月5日、宮崎・高千穂町体育館で開幕しており、この日が原の首都圏初試合となりました。
メインイベントはグレート草津、アニマル浜口組のIWA世界タッグ王座に星野、山本組のヤマハ・ブラザーズが挑戦。
1本目は15分23秒、浜口がエアプレーン・スピンからのブロックバスター(サモアン・スープレックス)で山本を体固め。
2本目は7分46秒に山本がダイビング・ボディプレスから浜口を体固め。
2本目で試合の流れはヤマハのペースになり、草津と浜口を分断。浜口がヤマハのコーナーで集中攻撃を受けました。
決勝の3本目は3分18秒、自軍コーナーで山本が浜口にペンデュラム・バックブリーカーに捕らえ、そのま膝で浜口の身体を固定し、そこへトップロープ最上段から星野がフライング・ニードロップ。3分18秒、星野が浜口を体固め。
2-1で星野、山本組がタイトル獲得。国際プロレスの看板タイトルが新日本プロレスの中堅チームに奪われてしまいました。
過去、団体対抗戦による王座移動は77年11月6日、後楽園ホールで国際のマイティ井上、浜口組が全日本プロレスのグレート小鹿、大熊元司組を破ってアジア・タッグ王座を獲得していますが、この時は国際プロレスの興行であり、「他団体のリングに乗り込んで行ってそこの至宝のベルトを奪った」のはヤマハが初めてでした。
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