この第1回ワールド・リーグ戦の優勝決定戦を観戦に、来賓としてニューヨーク地区の大プロモーター、キャピタル・レスリング・コーポレーション、WWWF代表のビンス・マクマホン・シニアが来日。
ビンス・シニアは74年2月に契約選手であるアンドレ・ザ・ジャイアントを新日本プロレスにブッキングしていましたが、同じキャピタル社の株主であるゴリラ・モンスーンは親馬場派。
この年の5月に開幕した全日本プロレスのMSGシリーズにペドロ・モラレス、スパイロス・アリオン、ジョニー・ロッズらをブッキング、自らも選手として参加しています。
馬場は新日本プロレスとビンス・シニアの接近を阻止すべく、盟友ブルーノ・サンマルチノ、モンスーンに働きかけて4月1日のMSG定期戦には鶴田を出場させ(ロッズに勝利)、さらに6月24日の同所定期戦に馬場自ら出場しています。(モンスーンに勝利)
ビンス・シニアはこの時新日本プロレスの費用負担で来日してはいますが、日本では新日本と全日本の両団体と商売しようとしていたと考えられます。
しかし、ザ・ファンクスがメインブッカーとして幅を効かせている全日本プロレスとは美味しい商売が出来ないと判断したか、大物外国人が呼べない新日本プロレスを択一することになりました。
6月にはタイガー・ジェット・シンが来日。猪木とNWF世界ヘビー級王座を賭けて2連戦が行われました。
6月20日、蔵前国技館では1本目を猪木が卍固めで制しましたが2本目、コーナーでうずくまっていたシンが近寄って来た猪木の顔面に火炎攻撃。猪木は左目を焼かれてしまいました。
試合はシンの反則負けとなり、猪木が2-0のストレート勝ちで防衛していますが、左目に火傷を負わされました。
6月26日、大阪府立体育会館での2戦目は、蔵前大会のテレビ中継が話題を呼んだか8900人(超満員)の入り。1本目両者リングアウトの後、2本目猪木がシンの右腕をアームブリーカーと鉄柱攻撃で骨折(実際には亜脱臼と言われる)させるというアクシデントを生み。試合は猪木のレフェリーストップ勝ち。
「プロレスで故意に骨折させるまでやる」
当時大きな話題を集めました。
8月1日の大阪府立体育会館と8日の日大講堂では猪木とカール・ゴッチによる実力世界一決定戦二番勝負が行われ、大阪は猪木、東京はゴッチが勝って1勝1敗のタイスコア。
8月8日にはミュンヘン五輪アマレス代表から新日本プロレスへ入団した吉田光雄がデビュー戦を行い、エル・グレコにサソリ固めで勝利。
10月10日、蔵前国技館では猪木が日本プロレス崩壊後、合併案により全日本プロレスのリングに上がっていたものの、韓国に帰ってしまった大木金太郎の挑戦を受け、NWF世界ヘビー級王座の防衛戦を行い、バックドロップからの体固めで猪木が先輩、大木を撃破。
12月12日、蔵前国技館では3月19日に同所で猪木に敗れたストロング小林と猪木が再戦。
S小林は猪木に敗れた後、ニューヨーク、WWWF地区に遠征に出発、フレッド・ブラッシーをマネージャーにヒールで活躍していました。
試合は猪木がS小林を卍固めに捕らえ、S小林は「死んでもギブアップしない」と堪えましたが、レフェリーのコシキ・ジーンは「これ以上我慢させるとS小林の首が折れる」として試合をストップ、猪木が返り討ちにしています。
この年新日本プロレスは189大会を開催、166大会を開催した全日本プロレスの興行数を上回りました。テレビ放送開始2年目で新日本は日本マットのトップ団体にのし上がりました。
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