猪木、藤波はプレ日本選手権が終わるとすぐにニューヨーク遠征に出発。
78年12月18日、ニューヨークMSGの定期戦に出場しています。
当初、猪木はテキサス・レッド(レッド・バスチェン)の挑戦を受けてNWFヘビー級王座の防衛戦を行う予定でしたが、WWWFのビンス・マクマホン・シニア代表から、これまでの一連の異種格闘技戦の功績を讃えられ、WWWFからワールド・マーシャルアーツ・ヘビーウェイト・チャンピオン(格闘技世界ヘビー級王者)の称号とベルトを贈呈され、レッドとの試合は同王座の初防衛戦となりました。
まあ、これは新間が仕掛け、ビンス・シニアにお金を積んで「モハメド・アリと闘った猪木」に対し名誉の称号を与えたいと考えて実現したことは明らかです。
レッドがマーシャルアーツに精通していた訳はありませんが、猪木vsレッドの試合は普通のプロレスの試合でした。
レッドは77年秋に突如ロサンゼルスに現れた謎の白覆面で、チャボ・ゲレロを破りアメリカス・ヘビー級王座を獲得。
ゴング誌ではその正体はバスチェンとも、ベテランのゴードン・ネルソンとも書かれており、ロサンゼルスと新日本プロレスの親密な関係から勘案して新日本への来日が濃厚でしたが、
この年の12月に開催された世界オープン・タッグ選手権にザ・デストロイヤーのパートナーとして全日本プロレスに来日しております。
その時に正体がバスチェンであることはその身体つきから明らかになり、親全日派だったバスチェンはやはり馬場のところがいいのかなぁ、と思われました。
新日本との接点はありませんでしたが、この日猪木とのタイトル戦が急拠組まれた訳です。ちなみにレッド名義でもバスチェン名義でも、この時バスチェンがWWWF地区で試合をしていた記録は発見出来ず、おそらく日本用のワンマッチ参戦かと思います。
試合はレッドが実力者らしく、グラウンドの攻防でも猪木にヒケを取らない動きをしており、猪木も足攻めからキーロック、逆片エビ固めと反撃していきました。
日本人の目から見て決して悪い試合ではありませんでしたが、観客席からは観客席からは「ボーリング!」(退屈を現す意)の声が散見されています。
試合は16分27秒、猪木がダブルアーム・スープレックスからの体固めで勝利。王座初防衛に成功しています。
藤波は1月23日のWWWFジュニア・ヘビー級王座奪取以来の対戦となる前王者、カルロス・ホセ・エストラーダの挑戦を受けて、同王座の防衛戦。MSGでの藤波の同王座防衛戦は3月20日のジプシー・ロドリゲス戦以来。
試合は10分51秒、逆さ押さえ込みで藤波が完勝。格の違いを見せつけて12度目の防衛に成功しています。
この他、日本から戻ったばかりのWWWFヘビー級王者ボブ・バックランドは11月21日の定期戦でリングアウト負けを喫したピーター・メイビアとの再戦を行いましたが21分51秒、両者リングアウトの引き分け。両者は翌79年1月22日の定期戦でケージ(金網)マッチによる決着戦を行うこととなりました。
4月30日に次いで、NWA世界ヘビー級王者、ハーリー・レイスが参戦、トニー・ガレアを8分57秒、ブレーンバスター(バーディカル・スープレックス)からの体固めで降し王座防衛に成功しました。
猪木、藤波、バックランドの試合は翌79年1月1日、元日の午後7時30分から90分枠で「新春プロレススペシャル」として放送されています。
ちなみにレイスの試合はテレ朝が「撮らせて欲しい」とビンス・シニアに懇願したところ「絶対に駄目」と謝絶されたそうです。
元日のゴールデンタイムに猪木、藤波らが出るWWWFの試合をテレビで観られるというまさに古きよき時代でした。
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