87年12月27日、両国国技館におけるイヤーエンド・イン国技館は前半から熱戦の数々観客を沸かせています。
山田恵一(当時23歳)と船木優治(誠勝、当時18歳)の骨法先輩後輩対決(山田の勝ち)は新日本プロレスの未来を感じさせる闘いでした。
ジャパンプロレスに入団し全日本プロレスのリングで入団挨拶を行い、プエルトリコでデビューした馳浩が国内デビュー戦で小林邦昭をノーザンライト・スープレックスホールド(北斗原爆固め)で破りIWGPジュニア・ヘビー級王座を奪取。
また、無期限出場停止処分中の前田日明に代わって木戸修が高田伸彦と組んで藤原喜明、山崎一夫組のIWGPタッグ王座に挑戦。
UWF戦士同士によるタイトル戦はキックとサブミッション中心の好試合となり両チームフェンスアウトの引き分け。観客からは前田の戦列復帰を望む声が多数出ました。
セミファイナル、藤波、木村健吾組vsビッグバン・ベイダー、マサ齋藤組の前にベイダー、M齋藤らと共にTPG(たけしプロレス軍団)がリングに登場。総帥のビートたけしの姿も。
しかし、新日本プロレスのストロングスタイルを支持するファンからは恐ろしい程の拒絶反応。
たけし軍団のガタルカナル・タカとダンカンはすでに鉄砲玉として新日本プロレスの事務所に出向いて猪木挑戦を表明したり、12月4日、両国国技館のリングに現れて猪木を挑発していました。(全て新日本プロレス合意の元につくられたアングル)
口火を切ったタカが「猪木さん、出てきて下さい。我々の挑戦から逃げるんですか!」とマイクアピール、館内物凄いブーイング。完全に険悪な雰囲気に。
さらにタカは観客に向かって「あんたらは猪木が逃げるところを見たいのか!?」と観客を挑発し始めたから堪らない。この日新日本プロレスの会場に詰めかけた11090人の観客に、このような洒落やエンターテインメント性は一切通用しませんでした。
ここで猪木登場。ベイダーを先導してきたM齋藤が「イノーキ、俺が連れてきた男と闘え!」と挑発。
M齋藤は、新日本プロレス復帰後は長州軍団(旧ジャパン勢)の副将的ポジションにおりましたが、この時から、ベイダーのプレーイングマネージャーも「兼務」しなくてはならなくなり、いささか微妙な立ち位置になってしまいましたが、ベテランらしく両方の立場を上手く使い分けてこなしていたのは流石でした。
「こんなはずではなかった」のがビートたけしで、終始コートのポケットに手を突っ込んだまま。一言も喋らない。表情は凍りついたように無表情。
私は観客席にいましたが、おそらく猪木は「今日は長州とのタイトルマッチ(IWGPヘビー級)があるから駄目だが、次のシリーズ(88年新春黄金シリーズ)でベルトかけてやってやる!」と時期シリーズの予告編も兼ねてそう言うかと思いきや、「やってやりますよ!どうですか!?」
とベイダーとの対戦をあっさり応諾、カードはセミが藤波、木村健組vs長州、M齋藤組、メインが猪木vsベイダーに変更されてしまいました。
セミの藤波、木村健組vs長州、M齋藤組は観客席から試合中にモノが投げ入れられ続ける異常事態と観客からは前代未聞の「(試合を)やめろ」コールが起きました。
これではいい試合等到底出来る訳もなく、6分35秒、長州がリキラリアットで木村健を体固めに降しましたが、さっさと終わらせた感がありました。
長州は試合後マイクで「わかったから(モノを投げるのは)やめてくれ」と観客に訴えました。
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