87年11月19日、後楽園ホールで起きた前田日明による顔面蹴撃事件、腫れ上がられた顔で抗議する長州に前田は自分の顔面を張って「やってみろ(やり返して来い)」と挑発しリングを降りてしまいました。
長州は右目眼窩底出血の為翌日から欠場、前田は猪木の「プロレス道にもとる」という発言から無期限出場停止処分となりました。
この日の後楽園ホールはジャパンカップ争奪タッグ・リーグ戦の最中で長州はマサ齋藤と、前田は藤原喜明とのタッグでエントリーしており、藤原が「パートナーに怪我を負わせてしまい申し訳ない」とM齋藤とのタッグを希望。
前田、藤原組の星をそのまま引き継ぐ形でリーグ戦に継続参戦していますが盛り上がりに欠けた展開となりました。
12月7日、大阪府立体育会館で藤波、木村健吾組が猪木、ディック・マードック組を破りリーグ戦を制覇。
イヤーエンド・イン国技館に続くことになりました。この大会は翌12月28日に120分枠をテレビ朝日が用意しており、ワールドプロレスリングの担当チームも同時に負けられない闘いとなった訳です。
そこでテレ朝はお笑い界のスーパースター、ビートたけしに依頼したけしプロレス軍団(TPG)を結成、実際に東スポを初めとしたマスコミを使って練習生を募集しました。これは猪木も最初から容認していました。
たけしはメインパーソナリティーをしていたラジオ番組「ビートたけしのオールナイトニッポン」の中でもTPGの企画を発表し練習生を公募。
その中に実際に応募してきた中に、秋吉昭ニ(邪道)、高山圭司(外道)、脇田洋人(スペル・デルフィン)ら後に業界で活躍するレスラーがいました。
練習生の応募者は六本木のテレ朝スタジオで体力テストと面接をした後、コーチを務めるアポロ菅原の指導の元、ゴング誌のライターとして活躍していたウォーリー山口(雄介)が主宰していたファンクラブ「ザ・マニアックス」が所有していたリングを使って、大田区上池台にあったマニアックスのリングで特訓。
ただ、それだけでは猪木ら新日本プロレス勢に到底たち打ち出来る訳もなく、TPGの刺客としてAWAとコネクションのあるM齋藤が、新進であるフットボール出身の大型パワー&ラフファイター、レオン・ホワイトに白羽の矢を立てました。
ホワイトはヨーロッパではブル・パワーのリングネームで活躍しており、またテレビ東京で放送されていた「世界のプロレス」でスタン・ハンセンとの試合(但しジョバー)が放送され、日本でも一部のファンには存在が知られていました。
新日本プロレスではホワイトを「皇帝戦士」ビッグバン・ベイダーに変身させました。
映画スターウォーズのダース・ベイダーをモチーフとした甲冑の被り物コスチュームは漫画家の永井豪がデザイン。
「TPGが打倒猪木の為に刺客ベイダーを送り込む」というシチュエーションとなった訳です。
新日本プロレスではイヤーエンド・イン国技館の主要対戦カードとして猪木vs長州のIWGPヘビー級選手権試合、藤波、木村健組vsベイダー、M齋藤組を発表していました。
長州はこの日が復帰戦となり、猪木と長州のシングルマッチは東スポプロレス大賞の84年年間ベストバウトを受賞した(8月2日、蔵前国技館)試合以来、3年8か月ぶり。
それもあって新日本プロレスの87年年内最終興行は両国国技館に11090人(超満員)の観客が詰めかけたのです。
ログインしてコメントを確認・投稿する