5.10月4日発売号○猪木、カール・ゴッチにリングアウト勝ちで世界ヘビー級王座獲得。(72年新日本プロレス蔵前国技館)
【解説】5回目にしてようやく白星。前年暮れ、社内クーデターを企てたとして日本プロレスを除名・追放処分となった猪木は翌72年1月26日、新日本プロレスの設立を発表しました。
既に猪木の世田谷区野毛の自宅を改装して道場と合宿所を作り、他には山本小鉄、メキシコ遠征から帰国の魁勝司(北沢幹之)と柴田勝久、木戸修、藤波辰巳が参加。
1月29日には道場開きが行われました。3月6日、大田区体育館で旗揚げ興行を行い、5000人(超満員)の観客を動員。
日本プロレスから東京プロレス、国際プロレスと移籍し70年1月に引退していた豊登がサプライズ来場し、「テレビ(放送)がつくまで」と助っ人参戦することを発表しています。
旗揚げ戦のメインイベントは猪木vsゴッチの師弟対決、15分10秒、リバーススープレックスから体固めで猪木がフォール負け。
「旗揚げ戦でエースが負ける」は当時大きな話題となり、その後各団体の旗揚げ戦のモチーフとなっています。
テレビなしで旗揚げした新日本プロレスは地方巡業でも苦戦。外国人選手も日本プロレスから「猪木のところに出た選手は使わない」と全米のプロモーターに圧力がかかり、ゴッチがヨーロッパ、メキシコ、アメリカのガルフコースト地区(アラバマ、ルイジアナ、ミシシッピー)等から無名外国人を招聘、大物を呼べるだけの資金もありませんでした。
そんな中、旗揚げ7か月で蔵前に初進出。メインはゴッチの持つ「実力世界一のベルト」世界ヘビー級王座に猪木が挑戦。
特別レフェリーは鉄人ルー・テーズが務め、27分16秒、リングアウト勝ちで猪木が師匠ゴッチを破り王座を獲得しています。
猪木は10月9日、広島県立体育館でレッド・ピンパネール(アベ・ヤコブ)を降し初防衛に成功した後、翌10日、大阪府立体育会館でゴッチのリターンマッチを受け、23分12秒、キーロックを丸め込まれてエビ固めで敗れ6日天下となりました。
蔵前と大阪は東京12チャンネルが単発放送。猪木の試合が久しぶりにテレビで流されました。
この10月4日は猪木vsタイガー・ジェット・シンのオイルデスマッチ(79年)、国際プロレス土曜日夜8時に放送時間帯移行第1弾ビッグマッチ、近江八幡大会(80年)、猪木vsマサ齋藤の巌流島決戦(87年)等有力候補がありましたが、流さんの好みでは猪木、ゴッチ、テーズが揃い踏みしたこの大会を書くだろうという予想が当たり、初の白星。
6.10月11日発売号●【予想】ラッシャー木村、ロン・バス破りIWA世界ヘビー級王座防衛。(80年国際プロレス越谷市体育館)【正解】鶴田、リック・マーテルにリングアウト勝ちもAWA世界ヘビー級王座奪取成らず。(84年全日本プロレス大阪府立体育会館)
【解説】流さんの「国際プロレス好き」を勘案してR木村と前年亡くなったRバス追悼の意味を込めて、この試合をチョイスしました。
先程書きましたが、東京12チャンネルの国際プロレスアワーはこの年の10月から毎週月曜日午後8時から毎週土曜日午後8時に「昇格」。
昇格と言えば聞こえはいいですが、私は12チャンネルが打ち切りの為のトリガーとして時間帯を移行させたような気がしてなりません。
この試合もテーズが特別レフェリーを務めており、「国際と土曜日午後8時」の因果関係を含めて流さんが書かれるだろうと予想しましたが外れました。
馬場の日本テレビ、全日本プロレス中継が視聴率不振でゴールデンから撤退させられた時間帯に国際の中継を持って来ても数字が取れないのは明らかで、81年3月一杯で放送は打ち切り。団体崩壊への道を辿っていくことになります。
マーテルvs鶴田はこの年の5月13日にミネソタ州セントポールでマーテルが鶴田を破り王座獲得。
7月にAWA王者として来日したマーテルは7月25日、福岡スポーツセンターで鶴田のインターナショナル・ヘビー級王座に挑戦し負け。31日蔵前国技館では鶴田のリターンマッチを受けて両者リングアウト。
この日鶴田はマーテルのAWA世界ヘビー級王座に挑み22分44秒リングアウト勝ちしますがルールによりベルト移動はありませんでした。
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