プレ日本選手権決勝トーナメント準決勝、先ずは78年12月12日、仙台市レジャーセンターで猪木とマサ齋藤が対戦。
M齋藤は74年4月の第1回ワールド・リーグ戦から新日本プロレスに参戦していますが、前回の77年6月のアジア・チャンピオン・シリーズまで、位置付けは日本側でベビーフェイスの助っ人参戦でした。
しかし、今回の参戦では狼軍団としてヒールターン、M齋藤のファイトスタイルから勘案してヒールの方が本領発揮出来るように思いました。
猪木とのシングル対戦は75年4月18日、福生市民体育館での第2回ワールド・リーグ戦の公式戦以来3年8か月ぶりでした。
この試合は14分13秒、弓矢固めで猪木が勝っています。テレビ生中継が試合途中で終わってしまったので全部は観ていないのですが、この試合は私の「我が心の名勝負」なのです。
M齋藤が序盤からバックドロップを連発、さらに猪木をアルゼンチン・バックブリーカーに担ぎ上げてゆさぶりをかけて攻勢に出ていきます。
猪木もドロップキックで反撃、リバース・インディアンデスロックでM齋藤の足を殺しにいきました。
後々、87年10月4日の巌流島決戦を主軸に猪木のレスラー人生の節目節目でM齋藤が果たしている役割は非常に大きく、猪木がM齋藤を高く評価していたのが理解出来ます。
ノーテレビの大会でしたが仙台市レジャーセンターは会場の照明が明るく、この試合はフィルムでワールドプロレスリング内で放送された記憶があります。(テレビ朝日より84年に発売された「闘いのワンダーランド」の放映リストには記録なし)
試合は3年8か月前同様、M齋藤が前半からバックドロップ、アルゼンチン・バックブリーカーで先手を奪っていきました。
猪木が反撃に出るとM齋藤のセコンドである剛竜馬が介入して試合を壊しにかかりますが、猪木はナックルパンチ、ダブルアーム・スープレックス、コブラツイストから最後はバックドロップを決め、11分42秒、体固めで逆転勝ち。決勝進出を果たしています。
翌12月13日、横浜文化体育館では坂口とヒロ・マツダが決勝進出の切符をかけて激突。
坂口とマツダはこのシリーズ、タッグで何度か当たっていますがシングルでは初対決。
マツダのセコンドには狼軍団全員が付きました。
体格で勝る坂口はパワーでマツダを圧倒、序盤の腕の取り合いもマツダのテクニックを坂口が力で制しています。
マツダも坂口の左足に照準を絞りレッグロックで反撃。
坂口はシュミット式バックブリーカーでマツダの背骨を痛め付け、アトミックドロップで勝負に出ました。
しかし、ここで狼軍団の剛、サンダー杉山が乱入して坂口を場外に落としました。
場外に転落した坂口に上田馬之助が椅子を持って首筋を殴打、ようやくリングに上がったら坂口はマツダをボディスラムに持ち上げようとしたところ、マツダは狙っていたかのような首固め。
10分、カウント3が入りクイックながらマツダがフォール勝ち。狼軍団は総力戦で首領のマツダを決勝に進出させることに成功した訳です。
12月16日、蔵前国技館での優勝決定戦は大方の予想通り、猪木とマツダの一騎討ちとなりました。
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