一方、国際プロレスの日本リーグ争覇戦は78年11月3日、大田原市民体育館で開幕。11月5日、後楽園ホールでのテレビ収録ではフリーとして凱旋帰国した元幕内力士、大ノ海の石川孝志がアニマル浜口と30分時間切れ引き分けの好試合を展開し、ファンやマスコミから高い評価を受けています。
11月17日、大阪府立体育会館(観衆3800人発表)ではラッシャー木村とキム・ドクが公式戦でシングル初対戦。
9か月前の同所での鶴田戦でドクに乱入されて反則負けを喫したR木村はドクの挑発に頭に血が昇ったか、コーナーに逆さ吊りにしてストンピングの嵐、反則負けとなってしまいました。
日本リーグ争覇戦も新日本プロレスのプレ日本選手権同様、予選リーグ戦と決勝トーナメントに分けて行われていますが、これは当初から鶴田と大木金太郎(棄権)を予選シードにする扱いであった為、仕方なかったと思われます。
ABブロック別総当たりリーグ戦を行い、各ブロック上位3選手に鶴田と大木を加えた8選手で決勝トーナメントが行われる予定でした。
Aブロックはプロフェッサー・タナカ(21点)、ミスター・サクラダ(19点)、マイティ井上(16点)が、BブロックはR木村、(21点)ドク(20点)、ディーン・ホー(18点)が決勝トーナメントへ進出しています。
大木が棄権した為、両ブロックを通じて15点で次点だった石川が繰り上がりで決勝トーナメントに進出しました。
決勝トーナメントは11月25日、蔵前国技館(観衆4500人発表)からスタート。
前回書いたようにこの蔵前大会には新日本プロレスからストロング小林が出場、新日本は小林邦昭も参加させています。
外国人選手、猪木のいないプレ日本選手権のシリーズ中でありながら2人選手を送り込んだということは、新日本は国際と商売をしていく気満々であり、国際と全日本プロレスの関係を崩壊させようという意図が見えました。
最も、そういった気配や動きを察知するのは人一倍勘の働く馬場のことですので、吉原社長の新日本プロレスの会場訪問(9月21日、品川プリンスホテル・ゴールドホール)の報道から撤退の意思を固めていたと思われ、前年に爆発的人気を呼んだ世界オープン・タッグ選手権の後継シリーズ「世界最強タッグ決定リーグ戦」のメンバーに国際勢が名を連ねていないことから日本リーグ争覇戦が終わったら蜜月関係の解消はほぼ間違いないと思われていました。
例年12月は興行を入れることは少ない国際プロレスですが、日本リーグ争覇戦が終わるのが11月30日、千葉公園体育館。全日本の最強タッグ開幕戦が12月1日、後楽園ホールであり、馬場から声がかかれば主力選手を貸し出す用意は国際側にはあったと思います。
蔵前大会は全日本を放送する日本テレビが生中継、国際を放送する東京12チャンネルが11月27日の月曜日にレギュラー枠で録画中継という体勢が取られていました。
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