mixiユーザー(id:21258650)

2017年11月11日23:18

400 view

ファンタジープロレスの巨匠桜井康雄さん追悼(209)

新日本プロレス勢の参戦こそなかったものの、日本リーグ争覇戦は前回書いた全日本プロレス勢に加え、韓国の大木金太郎(決勝トーナメントより出場)、日系のプロフェッサー・タナカ、ディーン・ホー、フリーのミスター・ヒトが参戦。充実したメンバーが集まりました。

しかし、結局大木は韓国でのスケジュールが合わず決勝トーナメントへの参加を棄権。11月28日、鶴岡市体育館、11月30日、千葉公園体育館の2大会に特別参加したのみにとどまりました。

私は大木の「韓国でのスケジュールが合わなかった」はないと考えています。

大木が国際側が呈示したマッチメークを拒否したと思います。

全日本からは鶴田が参戦していましたが、タナカ、ホーの日系組は鶴田とラッシャー木村の直接対決による優勝決定戦を避ける意味、いわゆる「クッション役」で呼ばれており、大木は鶴田より扱いが下にならざるを得ません。

となるとベスト4にも入れないのは明らかでR木村を優勝させるトーナメントには初めから参加するつもりはなかったかと思われます。

大木はこれと似たようなことを81年4月の全日本プロレス、復活インターナショナル・ヘビー級王座決定トーナメント(大木が力道山の形見として後生大事にしていたインター王座をNWAの勧告により返上、実際は馬場へのベルト売却)で前王者である大木にもトーナメント参加権が与えられましたがこれも棄権。参加していたらザ・ファンクスのどちらかと当たる組み合わせだったために負けるのを良しとしなかったのでしょう。

同81年7月6日、秋田県田沢湖町生保内町民体育館(テレビ収録)で新日本プロレスから移籍のタイガー・ジェット・シンとのシングルマッチが発表されましたが対戦は実現せず。(鶴田、天龍組vsシン、ボビー・ヒーナン組に変更)

全日本に来たばかりのシンが対戦拒否する訳もなく、大木が新参者であるシンの噛ませ犬となることを拒否したと思われます。

大木が3つ取られて完敗するのは日本人なら馬場と猪木以外は認めなかったのではないでしょうか?(75年5月3日北九州市小倉区三萩野体育館での新日本プロレス第2回ワールド・リーグ戦でストロング小林にフォール負け)

そこ力道山門下生時代の馬場、猪木の兄弟子にあたる微妙なプライドが交錯して負けブックを一定の線から先は飲まなかった訳です。

さて、吉原社長が訪問した新日本プロレスの78年9月21日、品川プリンスホテルゴールドホールのメインイベントは猪木とタイガー・ジェット・シンのNWFヘビー級選手権試合。

2日前のシンvs上田馬之助の特別レフェリーを務めた時シンが突如矛先を猪木に向け、右肘を痛めた猪木は白のサポーターを右肘に巻いて登場。

予想通りシンに右肘を狙われる展開で大苦戦、25分37秒のロングマッチとなり最後はバックドロップ一発からの逆転フォール勝ち。

16度目の王座防衛に成功、上田はシンと和解しシンのセコンドとしてリングサイドに姿を現していました。

私はこの大会を生で見ており、初の品川プリンスホテルゴールドホールだったもので会場の入口がわからず、ホテルの裏側から入ってしまいました。

すると試合前のシンと上田が同じワゴン車の中にいてシンはタオルで顔を被っていました。

「あっ、仲直りしてる」と友人て一緒にワゴン車に近寄ったところ、シンが何やら叫びながら、(ハタリハタマタではない)こちらに近づいて来たのでガチで怖くて逃げた思い出があります。
7 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2017年11月>
日 月 火 水 木 金 土
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
2627282930