78年2月18日蔵前国技館、2月21日大阪府立体育会館、2月22日岐阜市民センターの3大会に亘って行われた全日本プロレス、国際プロレス、韓国・金一道場による日韓三軍対抗戦が国際と全日本の交流決裂のトリガーとなったかと思われます。
第1戦、2月18日蔵前は日本テレビが生中継。メインイベントは75年12月17日、オープン選手権におけるアブドーラ・ザ・ブッチャーの不可解な乱入により無念のフォール負けを喫したラッシャー木村と馬場の2年2か月ぶりのシングルマッチによる再戦。
試合はノンタイトルの時間無制限1本勝負、特別レフェリーは元日本プロレス社長の芳の里淳三。
芳の里レフェリーは試合前に「両者リングアウトにはしない、場外乱闘になったらワシがリングに上げて決着がつくまでやらせる」とコメントした為、ファンや関係者も「今度はスッキリ決着がつくのでは?」という期待は大きかったのですが…。
馬場は長い足を利して滅多に使わない足4の字固め、70年12月12日、台東体育館におけるオックス・ベーカーとの金網デスマッチでベーカーのセコンド、ボブ・ウィンダム(ブラックジャック・マリガン)の投げた椅子により足を骨折して以来、ウィークポイントとなっていたR木村の足を痛めつける作戦に出ました。
R木村はエプロンへにじり寄りましたが馬場は4の字を離さずR木村はエプロンから上半身逆さ吊りに。
ここは当然、ロープブレイクとなりますが芳の里レフェリーはブレイクしようとせずリング内でオロオロし始める事態に。
すかさずサブレフェリーのジョー樋口がリング下から何やら芳の里に告げると芳の里はカウントを取り始めました。
カウントを取ってもリング上の両者の動きが変わる訳もなく、膠着したままの状態で10カウントが数えられると試合終了のゴングが鳴らされました。判定は?
この試合はR木村の上半身がエプロンに出たところで放送時間が終了してしまい、テレビ観戦のファンは結果まではこの時は見ていないと思われますが、私は会場で生観戦していました。
判定は11分15秒、馬場のリングアウト勝ち。これは日本プロレス史上稀にみる理不尽かつ不可解な決着でした。
猪木以上の鬼畜判定だったと思います。
芳の里レフェリーは「R木村に自力で上がる意志がなかった」、またリングアウトカウントについては「樋口が『カウント、カウント』と促した」とコメントしていますが非常に後味の悪い結果となってしまいました。
メインレフェリーの芳の里はレフェリング馴れしていない部分はありましたので、やはりここは樋口レフェリーが双方のセコンドに指示を出してR木村の上半身をリング内に入れてロープブレイクさせるのが筋だったと思います。
セミファイナルは鶴田、ロッキー羽田組vs大木金太郎、キム・ドク組で大木がブレーンバスターから羽田を体固め。
アジア・タッグ王者チームのマイティ井上、アニマル浜口組は韓国の呉大均、梁承揮(後の力抜山)組とタイトル戦を行い、1本目は反則勝ち、2本目は浜口がブロックバスター(サモアン・スープレックス)で梁を体固めに降し2-0でM井上、浜口組が4度目(3度目は78年1月2日、全日本後楽園ホールでグレート小鹿、大熊元司組に1-1から時間切れ)の防衛に成功しています。
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