77年11月3日、全日本プロレスの後楽園ホールで国際プロレスのアニマル浜口、鶴見五郎組がグレート小鹿、大熊元司組のアジア・タッグ王座に挑戦。
試合に先駆けて六本木の全日本プロレス事務所で行われた記者会見では馬場が「挑戦者チームが浜口と鶴見か、鶴見がちょっと軽いな。ウチの防衛は間違いない」と同席していた国際な吉原功社長を挑発。
これに対し吉原社長は「鶴見が軽いとは何事だっ!浜口、鶴見組はウチが自信を持って送り込むチームだ」と反論。
しかし、海千山千の極道コンビはキャリアにものを言わせた老獪な試合ぶりで浜口、鶴見組を圧倒、鶴見は額から流血させられ、2-1で小鹿、大熊組が防衛。
ここで国際のセコンドにいたマイティ井上が「次は俺が挑戦してベルトを奪ってやる」とアピール。
3日後の11月6日、今度は国際プロレスの後楽園ホールに舞台を移して、M井上、浜口組が小鹿、大熊組のアジア・タッグ王座に挑戦。
1-1からの決勝の3本目、大熊がM井上を自軍コーナーのロープ際に押し付け、エプロンから小鹿が顔面かきむしりの反則攻撃。しかし、冷静に戦況を見ていたM井上は絶妙のタイミングで大熊の背中に乗り、両足で大熊の両腕を挟み込んでクルッと1回転して回転エビ固め。レフェリーの前溝隆男がカウント3を入れて、2-1でM井上、浜口組が王座獲得、日本プロレス史上初のベルト他団体流失となりました。
(この試合は国際のホームリングであり、他団体に乗り込んでアウェイでベルトを奪ったのは79年1月21日、国際の後楽園ホールで新日本プロレスの星野勘太郎、山本小鉄組のヤマハ・ブラザーズが当時のIWA世界タッグ王者チーム、グレート草津、浜口組を破ってベルトが移動したのが初)
全日本側のセコンドにいたサムソン・クツワダがリングに上がり前溝レフェリーに「カウントが早い」と抗議しましたが判定は覆らず。
この決着戦は11月25日、前橋・群馬県スポーツセンターから12月1日、和歌山県立体育館まで6戦の日程が組まれた全日本と国際の「全軍対抗戦」に持ち越しとなり、吉原社長の「今度は馬場も出てこい」と言うアピールで御大馬場も重い腰を上げざるを得なくなりました。
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