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2017年10月28日20:53

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ファンタジープロレスの巨匠桜井康雄さん追悼(195)

バーン・ガニアのAWAから来る選手は国際プロレスには割高になっていてギャラの割には集客に繋がらないというジレンマがありました。

カナダ・モントリオールで交通事故に遭い右足を切断、選手生命を断たれる重傷を負った大剛鉄之助はカルガリーのスチュ・ハートの元でブッカー修行、第二の人生のスタートを切りました。

国際プロレスの吉原社長は大剛を外国人招聘の窓口に起用、大剛にブッキング料を払うことで大剛の生活を支えることにしました。

大剛はカナダに残ったまま「国際プロレス北米支部長」の肩書きで少ない予算で日本人ファン向けの外国人選手を国際のリングにブッキングし始めました。

75年に入るとキラー・トーア・カマタ、ビッグ・ジョン・クイン、ジプシー・ジョー、ピエール(フレンチ)・マーチン&マイク・マーテルのザ・コンバット・フレンチブラザーズらが国際のリングに登場。

選手のブッキングの声がかからなくなったガニアは実状を知り激怒、吉原社長に「ウチを取るのか、ジョー(大剛)を取るのか、はっきりしろ!」と二者択一を迫っています。

しかし、TBSから東京12チャンネルに放送局が変わったことで放映権料が大幅に減額された国際プロレスにガニアの要求を飲み続けるだけの資金力はもはやなく、吉原社長は外国人招聘ルート窓口を大剛に絞る決断をしました。

74年の来日時に「愛する日本の友達、吉原さんへガニア・ヴァーンより」と日本語で掘ったデザインの腕時計を「儲けさせてもらったお礼」としてプレゼントした程友好関係にあった吉原社長とガニアは「金の切れ目が縁の切れ目」とばかりに約5年間もの長きに亘った業務提携を解消していました。

この動きを見ていた馬場はガニアと吉原社長が決裂したと知るや、ガニアに早速アプローチ、AWAからバロン・フォン・ラシク、ホースト・ホフマンをオープン選手権に招聘。

「オープン」と謳っている以上、馬場が従来から懇意にしていたNWAの加盟プロモーター達だけではなく、新日本プロレスと提携していたWWWFは無理としてもAWAの選手は取り入れたいところでした。

当時、ガニアと吉原社長の決裂、AWAと国際プロレスの業務提携解消は公になっておらず、馬場は吉原社長に配慮してか、「ラシクとホフマンは吉原社長を窓口として呼んだ」ことにしました。

この為、12月11日、日本武道館大会の力道山13回忌追善興行ではラッシャー木村はラシクと、グレート草津はホフマンとシングルで対戦することになったのです。

それにしても全日本同士であるサムソン・クツワダvsドン・レオ・ジョナサンなど東京12チャンネルが放送しても何の意味もないかと思いますが…。

12月15日、仙台・宮城県スポーツセンター大会を国際への売り興行とすることに関しては、オープン選手権は参加選手が20人と多く、12大会しか組めなかった為、ファン投票により選手の番付を決めて、さらに「見たいカード」をファンから募りました。

そこで1位に選ばれたのが馬場vs鶴田の師弟初対決。全日本は仙台大会にこのカードを持って来ました。

オープン選手権は急遽、決まったが故に、中小会場しか押さえられず、大阪府立体育会館も愛知県体育館も札幌中島スポーツセンターも開催がありません。仙台はシリーズの中でも大場所のハコでした。

なので興行を買えば確実に黒字になることは間違いないところでしたので、国際にも多少儲けさせなければ、という馬場の考えによるものでした。

仙台大会のリングアナを竹下民夫が務めていたのはその為です。
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