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2017年10月26日22:40

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ファンタジープロレスの巨匠桜井康雄さん追悼(193)

74年に国際プロレスを襲った経営存亡の危機に馬場が立ち上がり協力、同年9月からは関東ローカルながら東京12チャンネルのテレビ放送も始まり、ピンチを救われました。

団体のエース、ストロング小林を事実上持って行かれた新日本プロレスとの関係は当然悪く、当時の勢力分布図は新日本vs全日本&国際という対立図式が明確になっていました。

74年はS小林、大木金太郎を打ち破った猪木が馬場に実力日本一を賭けて対戦要求を執拗に迫っていた時期でもありました。

75年1月、国際プロレスの選手会が「日本選手権をやろうというなら我々も出る用意がある」とアピール。これは多分にアドバルーン的傾向の強いものでしたが、これに対し猪木はゴング誌の取材に応え、「国際プロレスの『坊や達』もやるじゃない」と小馬鹿にしたような発言をしています。

また、同年6月には、4月にマッドドッグ・バションを破りIWA世界ヘビー級王座を獲得、国際のエースとなっていたラッシャー木村が「猪木さんが実力日本一というなら、私も実力日本一を持って任じている。闘おう」と猪木に挑戦。

この時も猪木は「木村よ、俺とお前では格が違う、己を知れ」と一蹴、さらには「ウチは今、蔵前国技館を一杯にするだけの力があるんですよ。国際プロレスは後楽園ホールが精一杯でしょう。国際プロレスの申し出は合同興行をやってくれ、ということなのか?ウチにやるメリットはないですよ。何も私は木村と対戦しないとは言ってない、木村が自分をわきまえて挑戦したいというのであれば先輩として『胸を貸す』用意はある」

と完全に見下した発言をしています。合同興行の申し出かと痛いところを突かれた国際プロレスは黙ってしまい、話はテーブルにも乗らず消滅。

プロレス評論家で国際の吉原功社長のブレーンでもあった菊池孝氏は「あれ(挑戦状)は吉原さんが書いたものじゃないか」と後にコメントしています。

この年の秋、馬場がこれまでの沈黙を破って反撃に出ました。

5月まで新日本プロレスのリングに上がっていた大木金太郎を引き抜いてこれを10月30日、蔵前国技館で撃破。12月に内外に広く「門戸開放」しオープン選手権を開催することを発表、猪木も出てこいとアピール。

さらに12月11日、日本武道館で力道山13回忌追善興行の開催を発表、既に先に開催を発表していた新日本プロレスの同日開催の蔵前国技館での猪木vsビル・ロビンソンのNWF世界ヘビー級選手権試合にぶつけました。

馬場の反撃はこれだけにとどまらず、力道山家(百田家)の全面協力を旗揚げ時に取り付けており、猪木が出て来られないのを承知の上で百田敬子未亡人は「猪木さんに力道山門下生を名乗って欲しくない」と発言、力道山家後見人の山本正男は猪木を「恩知らずのバカ者だ」と糾弾しました。

全ては「生意気な猪木を黙らせる為」に馬場と日本テレビ、当時の馬場のブレーンであったベースボールマガジン社、プロレス誌の編集顧問であった森岡理右(筑波大学教授)の描いたシナリオでした。

友好関係にあった国際プロレスは馬場に協力、R木村、グレート草津、マイティ井上の主力3選手がオープン選手権と力道山13回忌追善興行に参加を発表しています。

前年、馬場に助けてもらった国際プロレスは今度は馬場の興行に参加する訳ですが、既に馬場に主導権を握られていました。
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