78年7月24日、広島県立体育館では新日本プロレス旗揚げ以来初の2大タイトルマッチが開催されました。
本来であれば3月30日の蔵前国技館が初の2大タイトルマッチとなる予定でしたが(猪木vsマスクド・スーパースターNWFヘビー級選手権試合、藤波vsカネックWWWFジュニア・ヘビー級選手権試合)、ご存知のようにカネック敵前逃亡事件の発生により、行われておりません。
興行的に言えば、団体の看板であるタイトル戦は分散して開催した方がよく、全日本プロレスはインターナショナル・タッグ王者チームの馬場、鶴田組はそれぞれ馬場がPWFヘビー級、鶴田がUNヘビー級を持っており、1興行でのタイトル戦固め打ちはあまりやらない方針ですが、それでも旗揚げ半年後の73年4月24日、大阪府立体育会館では馬場vsザ・シークのPWF世界ヘビー級戦、ザ・デストロイヤーvsマーク・ルーインのUSヘビー級、南半球ヘビー級ダブルタイトルマッチを開催しています。
全日本に遅れること5年3か月、新日本もようやく2大タイトルマッチの開催に踏み切りました。
観客は3800人発表と満員マークはつかず、厳しい興行となりました。
メインイベントは猪木にペドロ・モラレスが挑戦したNWFヘビー級選手権試合。
両者はシングルではこれが初の対戦。これより3年前の74年6月13日、全日本の東京体育館ではモラレスは馬場のPWFヘビー級王座に自身がアメリカから持ってきた(とされる)MSG杯を賭けて挑戦しており、1-1から決勝の3本目、馬場のランニング・ネックブリーカードロップの前に僅か50秒でフォール負けしています。
猪木にとっては試合に勝つのは勿論、内容でも馬場と比較されるが故に負ける訳にもいきません。
しかし、室蘭、釧路、青森でモラレスに集中攻撃された背骨の負傷によるダメージは色濃く、試合開始からモラレスのペース。
モラレスはボディへの胃袋破りのパンチ、ハイアングルのシュミット式バックブリーカーで猪木を苦しめブレーンバスター、さらにもう一度ブレーンバスターで猪木をかつぎ上げたところ、猪木は背後に回り込んでの一瞬の隙をついての逆さ押さえ込み。22分34秒、カウント3が入り、猪木が「九死に一勝」の逆転勝利で15度目の王座防衛に成功しています。
試合後、背骨の痛みを訴えた猪木はタクシーで市内の救急病院へ運ばれ、治療を受けています。
坂口、ストロング小林組はピーター・メイビア、ヘイスタック・カルホーン組の挑戦を受けて北米タッグ王座の防衛戦。5か月半ぶりの防衛戦でチームワークに不安を感じさせるかと思いましたが、そこは阿吽の呼吸。
1本目は13分41秒、カルホーンのマネージャーであるフレッド・ブラッシーが乱入。つい先日までS小林のWWWF地区でのマネージャーをやっていたブラッシーですが所変われば品変わるでS小林の割れた額に噛み付いて13分41秒、日本組の反則勝ち。
2本目は流血して奮起したS小林が3分38秒、ブレーンバスターからの体固めでメイビアを破り、坂口、S小林組が2-0のストレート勝ちで5度目の防衛を果たしています。
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