お化けカボチャ、人間空母と言われたヘイスタック・カルホーンは68年7月の日本プロレスサマー・シリーズ以来10年ぶりの来日で新日本には初参戦。
初来日は力道山生前最後の年にあたる63年3月の第5回ワールド・リーグ戦。4月17日、日本返還前の沖縄・旭日橋バスターミナル駐車場特設リングで力道山とインターナショナル王座を賭けて戦い2-1で敗れました。
この時代はWWWFに定着していましたが全盛期は公称273kgと言われた体重もこのときは180kg位しかなかったと思います。
ブルーノ・サンマルチノの秘蔵っ子と言われたラリー・ズビスコは75年9月の全日本プロレスジャイアント・シリーズ以来の来日で新日本には初の参加。
後にAWA世界ヘビー級王者となりますが、この時はWWWFの中堅レスラーでした。全日本への初来日はサンマルチノと馬場の友情によるブッキングでしたが、新日本とのWWWFの提携路線で新日本へ。
チャボ、メイビア、カルホーン、ズビスコの4人は再来日ながら新日本には初参戦となり、新鮮なメンバーが集結した訳です。
ハン・リーは76年7月のアジア・リーグ戦以来2年ぶりの来日。これまでマスクを被って72年1月にはジ・アベンジャーとして国際プロレスに、73年9月にはメキシコの国民的英雄、エル・サントのパチもんとして新日本にも上がったています。
リング上では中堅レベル以下ですがメキシコシティでハン・リージムを主宰、カネック初め多くのUWA所蔵のルチャドールを輩出、名伯楽タイプでした。
新日本プロレスの初期に外国人ブッカーをしていたカール・ゴッチとは練習好きでウマが合い、新日本にもカネック以外にもエル・レオン・ティニエブラス、ウラカン(来日当初はヒューラカン表記)・ラミレス、サングレ・フリアー、シェン・カラス等のルチャドールが来ていますが本領発揮出来たのはほとんどいなかったです。
開幕戦の大宮大会のメインでは猪木、坂口組とペドロ・モラレス、ピーター・メイビア組が対戦。
1本目は両チームリングアウト、2本目はモラレスが坂口を後方回転エビ固めに丸め込んで2-1でモラレス、メイビア組が勝利。
セミファイナルでは藤波とチャボ・ゲレロがシングルで対戦。スピーディーな動きの攻防で観客は多いに沸きました。結果は両者リングアウトに終わっていますが、藤波にようやく外国人のライバルと呼べるレベルの対戦相手が現れました。
シリーズ最終戦の7月27日、日本武道館では国際プロレスを退団した剛竜馬が藤波のWWWFジュニア・ヘビー級王座に挑戦が決定していましたが、チャボの方が全ての力量で優っていたのは確かで、チャボとのタイトルマッチは次の機会に持ち越されました。
凱旋帰国のストロング小林はラリー・ズビスコと両者リングアウトとなり、遠征前と変わらない低迷ぶりでした。
ログインしてコメントを確認・投稿する