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2017年09月24日22:57

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ファンタジープロレスの巨匠桜井康雄さん追悼(162)

国際プロレスにTBSの放送が付き、TBS側がリクエストした外国人選手をマツダが呼ぶことが出来ないとなって、TBSはファイトマネーの中間搾取があまりに酷いと力道山死後、日本プロレスから絶縁されたグレート東郷を外国人ブッカーに起用。

これを不服としたマツダが吉原功代表と喧嘩となり国際を去った、というのがマツダの国際からの退団理由となっていますが、理由は他にもあったようでした。

国際プロレス(法人名インターナショナル・レスリングエンタープライズ株式会社)は吉原とマツダ、マツダの弟子筋にあたるマティ鈴木(鈴木勝義)の3人が発起人となり設立しましたが、マツダは役員にはなっていたものの、資本金は出さず、金の工面は専ら吉原が行っていました。

当初国際は日本プロレスのように団体が選手の衣食住の面倒をみる力道山が大相撲から持ち込んだビジネスモデルではなく、出場する選手はフリーとし、戦うリングを提供するアメリカのプロモーターと同じやり方を目指していました。

日本プロレスは力道山自身がアメリカで稼いで来た自己資金、日本テレビとスポンサーの三菱電機、博報堂らの全面的後援があったからこそ、成立していた形式でした。

弱小資本の国際が同じことをやっても東京プロレスの二の舞になってしまい、長期に継続は厳しい。しかし、プロモーション形式はこの時代、日本では信用度合の問題もあり馴染まず、結果的に吉原は日本プロレスと同じ選手団体丸抱えの方式を取らざるを得なくなりました。

旗揚げから2シリーズ経過し創業赤字的損失が膨らんだことで吉原はマツダと鈴木にも負担を求めましたがマツダはこれを拒否。67年8月16日、蔵前国技館の大会前に両者は決裂しました。

鈴木はマツダ人脈でしたのでマツダと共に国際から撤退せざるを得ない立場でしたが、プロレスラーとして活躍する傍ら、オレゴン州ポートランドで事業を開始し、その収入から吉原に対し弁済を行った、とのことです。

マツダは70年11月の日本プロレス、インターナショナル選手権シリーズで4年半ぶりに日本プロレスにフリー参戦、その後は前に書いた通り全日本プロレスに助っ人参戦していました。

なので、マツダが新日本プロレスに鞍替えしたとしてもマツダにとっては日本の団体のしがらみ等関係なくビジネスとして割りきって交渉相手を変えていくのはマツダにとっては普通の話でした。

剛竜馬はマツダの元で肉体改造に励み、打倒藤波を誓いロサンゼルス入り、マツダに伴われてテレビ朝日の画面に登場、藤波への対戦要求を行っています。

この日行われた藤波vsカルロス・マタのWWWFジュニア・ヘビー級選手権試合はCマタが空中戦も出来る器用なルチャドールだったこともあり好試合となりました。

試合は25分28秒、Cマタが勢い余って藤波をトップロープ越しに場外に投げてしまい反則負けを取られ藤波が6度目の防衛を果たしています。
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